●コネクト通信2015バックナンバー


「音を奏でる身体―動く音響」@千代田アーツ3331にコネクト代表が出演します。

【17日19時より アーツ千代田3331に ササマユウコが出演します】
人との出会いは本当に不思議なもので、現在、横浜の福祉作業所カプカプを軸に、ダンサーの新井英夫さんと「身体と音の対話」プロジェクトを水面下で進めているのですが、それと全く同じようなことを考えている(のに、アプローチが結構違う)二人がちょうどスイスから来日し、アーツ千代田3331にレジデンスしています。それで昨日お話を伺いに行ったのですが、実はその場は彼らが即興コラボレーションの相手を探す目的もあって、特にダンサーのAngelaとは何となく最初から親近感もあって、17日公演の「音」の対話相手として私を選んで頂きました。私自身にとっても色々な意味で2011年以来の「現場復帰」です。といってもあくまでミュージシャンではなく、「即興的な音の対話」相手として参加します。お時間ありましたらどうぞ足をお運びください。月曜からリハ開始。インド、キューバを巡ってきた彼らのワークイン・プログレスに参加します。

one hand clapping
sounding bodies-moving sounds
パフォーマンス「ワンハンド・クラッピング(片手で拍手)」および
「音を奏でる身体ー動く音響」
日時:2015年12月17日(木)午後7時より(約1時間)
場所:アーツ千代田3331 1F コミュニティ・スペース
入場:無料
オープニングレセプション:午後8時から9時
パフォーマンスの後、ささやかなパーティあり。

スイスの芸術家Jan Schacher (サウンドアーティスト、インタラクション技術者)、Angela Stoechklin(ダンサー、振付師)は二つの芸術形式の間に相互作用を起こすべく取り組んでいます。この作用で、身体は楽器の役割を担うことができ、音は物理的な形態を得て動作パターンを表現します。異文化のコンテクストの中で彼らの長期にわたるコラボレーションシリーズを公開することにより、相互作用とコミュニケーションの問題は、複数のレイヤーにわたって深く探求されるでしょう。


アートミーツケア叢書2『生と死をつなぐケアとアート~分たれた者たちの共生のために』を紹介しました。

 

CONNECT/コネクト代表・ササマユウコも会員であるアートミーツケア学会から、このたび叢書の第2巻『生と死をつなぐケアとアート~分たれた者たちの共生のために』(アートミーツケア学会編、和田光彦、坂倉杏介 責任編集)が発行されました。

本書より「〈生者と死者の共存〉を主題にして、生きている人、目の前などからにいる人のみならず、死を間近に控えた人、亡くなった人、不在の人までも含みこむ、遠く隔たった存在との共存の営みについて、宗教、儀礼、記憶、死者への関係などから理解を深めます。」監修 本間直樹。

代表の個人ブログ「音のまにまに」でも紹介しています。

 


アートミーツケア学会@大分に参加しました。

去る11月6日から8日まで、代表ササマユウコが所属するアートミーツケア学会に出席しました。今年は大分大学福祉フォーラム「コミュニティを編み直す~つなげる力とアート」との連動で開催され、初日は「国東時間」を知る半島のスタディツアーから始まりました。世界市場を視野に入れた新旧の地場産業、また江戸時代から続く三浦梅園の哲学を知る貴重な機会となりました。夜は市立美術館で開催中の「エコール・ド・パリ」展を使って、美術と音楽の「ユニバーサルな鑑賞スタイル」を模索するコンサートが大分大学主催で行われ、コンサート後は活発なディスカッションが行われました。2日めはこの春「街の縁側」を目指して開館した大分県立美術館のガイドツアー、また現在路上観察でご一緒しているメンバーが所属する青年団主宰の平田オリザ氏が「新しい広場をつくる」をテーマに基調講演をおこない、国東半島の廃校を利用したD-torsoの試みと併せて、その土地ならではの「広場」のつくり方、またそれぞれの土地に流れる「時間」そのものを考える場となりました。3日目は「妖怪」に始まり、大分県立文化芸術短大の「路上観察」によるまちづくりの取り組みや、大阪大学の臨床哲学からオープンダイローグにつながる研究、また最後のセッションでは東京迂回路研究の「哲学カフェ」で「対話」を考える場に参加しました。どのテーマもサウンドスケープ思想とは非常に親和性が高く、コネクト(という芸術活動が)向かうべき方向性を再確認するような有意義で濃密な3日間でした。ここでの出会いや発見はぜひ、今後のコネクト活動にも反映させていけたらと思っています。※写真左上)廃校を利用した国東半島のD-torso 写真右上)まちの「縁側」を目指した県立美術館。災害時にはここが広場になる。 写真左下)コネクト・インタビューのご協力を頂いた「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」のおふたり。写真右下)三浦梅園の哲学を大切にした「国東時間」。 (ササマユウコ記)。


身体と音の「対話」を探るこころみ

私の音をあなたに。(横浜ひかりが丘小学校コミュニティ・ハウス)
私の音をあなたに。(横浜ひかりが丘小学校コミュニティ・ハウス)

①日本音楽即興学会@神戸大学
10月末に神戸大学で開催された日本音楽即興学会に出席しました。今年度の基調講演はNY大学ノードフ・ロビンズ音楽療法センター/アラン・タリー氏ということもあり、現場で働く音楽療法士、即興音楽家、研究者など、さまざまなバックグラウンドを持つ「音楽家」たちが集まりました。アラン氏の臨床例をもとに自由闊達なディスカッションも展開され、非常に有意義で「即興的であること」を楽しむような学びの場となりました。後半は大友良英さんの参加でも注目された「音遊びの会」代表の沼田里衣さんもパネリストとして参加され、洋の東西のアプローチの違いや、「即興とは何か」を本質的に考える機会ともなりました。この学会は『音楽療法を考える』を始め、示唆に富んだ音楽の本を数多く書かれて/訳されている若尾裕先生が中心となって関西で展開されています。特に『音楽療法を考える』は音楽療法の場を即興音楽が生まれるクリエイティブな場と捉え直した非常に興味深い内容で、音楽療法の関係者はもちろん、創造的な即興演奏の場を考える音楽家たちにも是非ご一読をおすすめします。

②「コトバのない対話」は可能か?

また11月からは、横浜にあるカプカプひかりが丘の皆さんと体奏家の新井英夫さんが何年もかけて築いてきた「信頼関係」を礎に、新井さんと筆者の「ある実験」が始まりました。

今までとは少し違う風を即興的に送りこむことで、そこにある関係性、そして何より自分たち(身体と音)にどんな変化が起きるか?ということを見つめコトバにする「対話」のプロジェクトです。ノンバーバル・コミュニケーションの領域にいる身体と音の表現者があえてコトバと向き合う「こころみ」の場。

和室のつくりをステージと客席に見立てたり、元小学校内の心地よい響きに耳をひらくなど、「場」そのものとのコミュニケーションも意識しながら、カプカプの皆さんがサウンドスケープを自らデザインするような展開も心がけたいと思います。この日の午後は、新井さんのリードで廊下全体に「あるく音の森」が出現し、静かで穏やかな「耳をすます」時間が皆さんの内側から生まれました。
今後は、このカプカプの皆さんとの間に生まれた「即興時間」を、再び芸術家の間でふり返り、それをまた現場に戻すという「循環」を目指します。そのプロセスで生まれたコトや関係性そのものを「オンガク」や「ダンス」と捉え直し、できれば広く共有できる自分たちのコトバに変えていく。少し欲ばりですが、方法論の追究に陥らない哲学的な冒険を目指したいと思っています。(ササマユウコ記)


活動中間報告&公開座談会『泥沼コミュニティが、橋本でしていること。』@第3回ユニコムまちづくりフェスタ

写真(左)沼下桂子さん (右)萩原綾乃さん 以上、泥沼コミュニティ
写真(左)沼下桂子さん (右)萩原綾乃さん 以上、泥沼コミュニティ

爽やかな秋晴れの中、10月3日に開催された第3回ユニコムプラザまちづくりフェスタ(相模原市立市民・大学交流センター主催)で、ミニ・セミナー「泥沼コミュニティが、橋本でしていること。」を開催しました。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。
午前中は泥沼コミュニティのおふたりと展示ブースでの発表、午後はステージ上での活動中間報告会と「あるく、つなぐ、考える」をテーマにした公開座談会を実施しました(進行:芸術教育デザイン室コネクト代表 ササマユウコ)。「あるく」ことで、まちの中に潜む「点」を「線」で結び、時間軸や場所を’無理なく’つないでいく。人と人が柔らかに関わるコミュニティの在り方、芸術活動としての「歩き方」を、泥沼コミュニティと路上観察学会分科会それぞれの「あるく」活動から共有し、みんなで考える「哲学的な」場となりました。

 昨今、飽和気味とも言われる各地のアート・プロジェクト。しかし、芸術家と地域の関係性の結び方には新しい波が生まれ始めていると感じています。それは「土」のような固定型でも「風」のような一過性でもなく、まちにありながらも流動的に展開する「水」のようなプロジェクトです。まちの日常に強引に非日常(芸術)を投げ込む/立ち上げるのではなく、いまここにある街や人の日常、または過去や未来につづく流れを掬い上げ、そこに「芸術」や「芸術家」が自然と溶けこむような関係性とも言えます。「劇団ままごと」が小豆島で2013年に展開した「おさんぽ演劇」や、音楽家やダンサーが街中に潜み噴水のように立ち現れては消えるフラッシュモブ等にその新しい波を感じています。

また、泥沼コミュニティが着目する「秋葉講」という’システム’が、時代や土地を越えて続いている理由も探ってみました。そこから一歩すすめて「神」や「妖怪」といった(見えないもの)がコミュニティで果たす大切な役割にも少し触れました。

当初の予定1時間より10分短縮になった関係で各テーマを語り尽くすことは出来ませんでしたが、地域型アート・プロジェクトの方法論や関係性には、まだまだ沢山の可能性がありそうだということは見えてきました。その中でも最もシンプルで原始的、そして応用可能なツールが「歩くこと」なのかもしれません。誰もが気軽に参加でき、上下関係のない「歩く」営みが芸術活動になれば、日々の暮らしがもっと豊かになるような気がします。
泥沼コミュニティの活動は来年4月で一区切りですが、後半の活動の中で、またプロジェクト終了後も思いがけない展開や出会いがあることでしょう。川のように流れながらかたちを変えていく彼女たちの柔らかな活動スタイルは、コネクトとも共通していると感じるのでした。(ササマユウコ記)

イラスト:榎本浩子(泥沼コミュニティ)
イラスト:榎本浩子(泥沼コミュニティ)

 ●劇作家/岸井大輔さんと泥沼コミュニティで「境川を歩く」プロジェクトは、以下の日程で年内いっぱい続きます。

11月1日「境川を歩く5~今度こそ水源編(橋本⇒大戸⇒水源)」
12月31日「境川を歩く6~大晦日だよ!海到達編(湘南台⇒江の島弁才天」

 

●そのほかの活動予定
11月14日「アートを通して安全・安心まちづくり」を考える意見交換会」@アートラボはしもと


【おまけ】セミナー終了後は急遽、路上観察学会分科会と泥沼コミュニティによる「コラボあるき」が実施されました。目的地は大和市と横浜市にまたがる「いちょう団地」のお祭りです。多国籍の住人たちがつくるお祭りは、この国のコミュニティの未来型とも言えるでしょう。すぐそこにあるダイバーシティも「歩く」ことから見えてくるのでした。
【路上観察学会分科会~1周年記念イベントを開催します】
11月21日(土)19時~2
1時 Solid&Liquid MACHIDA ※詳細は後日お知らせします!


音のワークショップ「夏の森に耳をすます、音のたからさがし」を実施しました。

町田市の青少年施設ひなた村で、子ども向け、大人向けの2回にわたって代表のササマユウコが音のワークショップを実施させて頂きました(NPO町田レクリエーション連盟主催)。

子どもたちには静かな時間で耳をひらく大切さを、大人たちには哲学カフェとサウンドウォークを体験して頂きました。

詳細はこちらのブログをご覧ください。


耳をひらく、静かな時間(音のワークショップ)@ひなた村

 

梅雨が明けた7月19日。町田市青少年施設ひなた村で「第14回子どもも大人も遊びも 町田展」(主催:NPO法人町田市レクリエーション連盟 後援:町田市)が開催され、代表のササマユウコが町田市在住ということで、「音のワークショップ」(サウンド・エデュケーション)の講師としてお声をかけて頂きました。


この日は最高気温36度の真夏日となりましたが、ひなた村全体を使っての野外中心のイベントは、例年通り近隣の子どもたちや親子連れで賑わい、述べ2000人近い参加者となりました。

そうした中、実験的な参加でもあった「音のワークショップ」は、施設内の和室を使ってみんなで「静かな時間」を過ごしました。参加者は未就学児童(2歳児)から小学校低学年を中心に午前/午後で50名程度。窓を開けて森の音をきいたり、鳥とおしゃべりしたり、小さな声で話したり、心臓の音をきいたり・・・子どもたちもはじめての「耳をひらく体験」に、とても集中して参加してくれました。

静かな場が好きな子、大きな音が苦手な子、「学校の音楽」が得意な子、苦手な子。。「いつも元気!」が正解ではない多様性を認め受け入れるコミュニティの雰囲気や、「きく」という行為そのものの大切さに気づけるような、ゲームやお話を通しながらの「ちょっとだけ哲学的な」時間をお届けしました。子どもたちの「耳」は未来の社会につながっている。「みんな違って当たり前」の意識、大切です。この静かなあそびの中での「きく」体験を、何年か後に、子どもたちが「ふと思い出して」くれるような瞬間があるといいなと思っています。

 

※今回は「定時開催/定員制」の告知が徹底されず、またWSの性質上、定員枠でお断りすることになってしまった方には大変申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。


東京大学駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』

東京大学駒場博物館では現在、特別展『境界を引く⇔越える』が開催されています(無料)。

アート(芸術)とサイエンス(科学技術)をつなぎながら双方向を行き来する、とても興味深い内容です。この企画は同大学の博士課程プログラム(※)として、渡部麻衣子特任講師(科学技術社会論)と、画家の池平徹兵さん(顕微鏡絵画ワークショップ・インストラクター)との「つながり」から生まれました。

例えば、渡部さんが大学を外(福祉施設)につなぎ、さらに池平さんがその施設の人たちとつながる。そこでの協働作業から生まれた大きな絵や鯉のぼりが「共生社会」の象徴のように会場内に印象的に飾られています(チラシ写真も作品のひとつ)。池平さん自身にとっても「個」の境界を越える作品です。

他にも池平さんとブリアンデ・カナエさん(アクセサリー作家)による海を越えたモノづくり「OFIICE BACTERIA」の仕事や、顕微鏡の中の世界を3D作品にして外の世界につないだ作品など、「境界を越えたモノ」が様々な視点を投げかけながら展示されています。駒場の各研究室の音を集めてコラージュされたというgOさんのBGMも、会場内に柔らかなサウンドスケープをつくりだしていました。モノやオトやサイエンスは「関係性」なのだとあらためて気づかされる空間です。

今回の渡部さんは科学とアートを、また先日の「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」でお会いした東工大伊藤亜紗准教授は美学と生物学をつないでいます。お二人とも30代の母親であることも興味深い。出産や育児という研究者自身の「境界を越える経験」が学術を外の世界へとつなげていく。「共生社会」を考える上で「福祉」の視点は不可欠ですが、研究者のコトバが外の世界に伝わらない/届かないでは意味がない。だからこそ彼女たちの「身体を通ったコトバ」は「外の世界」とつながることが意識されていてわかりやすい。それはとても大切なことだと思いました。

男性中心の科学の歴史の中で、いつしか分断されてしまったアタマ(コトバ)とカラダ。アタマの中だけで作られた専門用語は内の世界に留まり難しく、結果として科学のウチとソトを切り離す。まずは人間として「当たり前」の感覚を研究に取り戻し、そもそもはひとつだった「科学と芸術」をふたたびつなぐこと。それは双方にとって、また硬直した社会にとっても新しい風となる予感がするのでした。

特に原発事故という「身体感覚の欠如」や「科学技術の失敗」を経験した時代だからこそ、自分の世界の外側にある(と思い込んでいる)科学のコトバや感覚には誰もが意識的につながっていく必要があると思うのでした。アートには科学の「ウチとソト」をつなぐチカラがある。境界を行き来する世界の在り方や関係性のつくり方は「内と外を柔らかにつなぐ」ことを目的に始まったコネクトの考える「芸術」ともリンクします。

だからまず、科学の出発点にありながら一般の暮らしには縁のない「顕微鏡の世界」を覗いてみる。そこで生まれるシンプルな感動や発見に、芸術と科学の本質が見えるかもしれません。


〇この展示は6月28日まで。会期中はさまざまな週末イベントも予定されていますので、ぜひお気軽にお出かけください。 詳細はこちらから→

 

(※)東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

 

                         2015.5.11(ササマユウコ記)


市民群読音楽劇『銀河鉄道の夜』付帯企画ワークショップ@桜美林大学プルヌスホール

今年で9年目を迎える桜美林大学プルヌスホール市民群読音楽的『銀河鉄道の夜』。その付帯企画ワークショップとして4日に脚本・演出の能祖將夫氏(桜美林大学教授)による群読ワークショップが開催されました。

年齢や性別もさまざまな23名が大きな輪になって、宮沢賢治のコトバをひとり1行づつ順番に読んだり全員で声を合わせたりする「群読」体験の3時間でした。銀河スタイルの「輪になる群読」の興味深いところは、初対面/未経験の参加者で構成されたグループでも最後にはひとつの「群読作品」と言えるほどの状態に仕上がるところです。ここで使われたテキストがオノマトペを効果的に使って音楽的に(楽譜のように)構成されているため、賢治のコトバが身体リズムに無理なく入ってくる。能祖氏は輪の中心点で指揮者や作曲家のように参加者に指示を出します。自分の番が回ってきた参加者は、対面する相手に声を届かせるというよりも、輪の内側全体に響くように大きな声を出している。このスタイルは舞台から客席に(一方向に)声を出す緊張感とは違う、独特の「安心感」や「一体感」が生まれます。参加者からは「もっとやりたかった!」という声も多く聞かれました。「個」の集合体である「輪」には「点」を「線」に変えるチカラや、「個」の失敗を吸収する効果もあります。「ズレ」はエコーのように音風景に奥行きを生む。中心点(能祖氏)に声が集まることで音風景の中に芯が生まれる。輪の内側から立ち上がる個の声(オト)の集合体は輪の外側にも威圧感なくつながっていきます。

「輪」は古くから民族的な儀式やコミュニティづくりにも取り入れられていますし、最近はコネクトのネットワークでもご紹介している「つむぎね」のように、音楽(旋律)を個の「オト」として捉え直し、円形にして紡ぎ直すような作曲手法を選ぶ若い音楽家も増えています。古くから使われる手法ですが、若い世代も新しさと懐かしさを織り交ぜながら現代の「民族音楽」を目指す。個が無理なく参加でき、輪が生む音風景は個をはるかに超え、透明度が高く普遍性を生む。要はプロがおさえているとは言え、市民劇『銀河鉄道の夜』も芸術性や完成度が非常に高いわりに稽古日数が1週間~10日程度と驚くほど短い理由もここにあると思います。

そして輪の内側に立ち上がっていく賢治のコトバたち。その透明なオト(声)の風景はひとつの宇宙であり、賢治のオノマトペ(オト)やコトバ(旋律)やリズムは、耳できくとあらためて音楽なのだと気づくのでした。(ササマユウコ記)


空耳図書館のはるやすみ~カラダで読書「ハッピーバースデー!アンデルセン!」

外山晴菜さん(ダンス)、橋本知久さん(音楽)によるデモンストレーション『赤い靴』
外山晴菜さん(ダンス)、橋本知久さん(音楽)によるデモンストレーション『赤い靴』
思いっきりカラダとココロを動かそう!
思いっきりカラダとココロを動かそう!

4月2日には相模女子大学グリーンホール/多目的ホールで、210回目のアンデルセンのお誕生日にちなんだ「ハッピーバースデー!アンデルセン!」(小学生向けダンスワークショップ)を開催しました。貧しい靴職人の子どもとして生まれたアンデルセンはダンサーやオペラ歌手になることを夢見て14歳で家を出ます。舞台で有名になる夢はかないませんでしたが、助けてくれる人や素敵な旅から世界中で愛される物語を生み出したアンデルセンは生涯劇場を愛しました。

子どもたちは、開場中のロビーでアンデルセンについてすこし学び、橋本知久さんに劇場(非日常)の世界へと導かれていきます。最初のデモンストレーション「赤い靴」では、外山晴菜さんのコンテンポラリーダンスと橋本さんの生演奏で、アンデルセン物語に潜む「怖さ」を体験してもらいました。この「赤い靴」の少女も、自伝のエピソードからアンデルセンの分身と考えたからです。子どもたちは少しびっくりした様子でしたが、その「びっくり」こそが舞台芸術の醍醐味であることを無意識に感じ取ってもらえたら嬉しいです。その後は全員でステージにあがり「観客」から「出演者」へと視点を変え、身体を思いきり動かして遊びました。たくさん笑ってカラダを使うと、ココロも軽く楽しくなるから不思議ですね。

本の世界と舞台芸術をつなぐワークショップ「空耳図書館」は今後も外山さん、橋本さんと共に続きます。

当日の様子は、こちらの活動アルバムでもご覧いただけます。


空耳図書館のはるやすみ「おやこのじかん」

専用サイトでご紹介中ですが、現在CONNECTがお届けする「本」と舞台芸術をつなぐワークショップ「空耳図書館のはるやすみ」を開催中です。
27日には、ダンサーの外山晴菜さん、音楽家の橋本知久さんをお招きして赤ちゃんから小さなお子様と保護者を対象にした「おやこのじかん」を開催しました(和光大学ポプリホール鶴川3Fエクササイズルーム)。
まずは『モコモコモコ』『もけらもけら』といった人気のオノマトペ絵本を楽譜のように捉え直した、赤ちゃんも笑顔になるちょっと不思議な「読み聞かせ」を体験して頂きました。ふだんの何気ない動作やコトバをあらためて意識することから音楽やダンスのはじまりを感じたり、おとながカラダと五感を意識した「オノマトペ」を使うことで、子どもたちが思わず笑顔になる体験は、春の光の中で和やかなピクニックのように楽しい時間でした。このシリーズは翌週対象を小学生に変えて続きます。

◎当日の様子は専用サイトをご覧ください。



「まちを歩こう、まちをつくろう!」第2回まちづくりフェスタ(市民・大学交流センター@ユニコムプラザさがみはら)に参加しました

相模原市立市民・大学交流センター(ユニコムプラザさがみはら)で開催された「第2回まちづくりフェスタ」にコネクト企画「まちを歩こう、まちをつくろう!」で参加しました(このセンターには、コネクトのオフィスも入っています)。
今回は、共に桜美林大学講師で劇団青年団に所属する山内健司さん(俳優)と、路上観察学会分科会リーダーでもある鈴木健介さん(舞台美術家、漫画家)をお招きして、公募による路上観察体験と、おふたりが講師を務めた昨年夏の桜美林大学プルヌスホール劇場ワークショップ「おいでよ、ぼくのまち~もうひとつのふちのべをつくる」を公開で事例報告して頂きました。(進行:ササマユウコ)

写真(左)山内健司さん、(右)鈴木健介さん
写真(左)山内健司さん、(右)鈴木健介さん

前半の路上観察では昭和の面影が色濃く残る商店街「大野銀座」と「南新町」を歩きました。飛び入りでご参加頂いた地元の小学1年生とお母さんが案内役となった、その町に暮らす人ならではの情報と共に歩く何とも楽しい観察会となりました。参加者のさまざまな視点を分かち合いながら、知らない人同志が一緒にまちを歩く楽しさには、年齢性別、コミュニティを越えて人をつなぐ不思議な力があります。路上観察学会分科会がこの商店街を歩くのは実は二度目なのですが、初回では気づかなかった新たな発見も多々ありました。
後半の公開レクチャーでは、昨夏プルヌスホールで行われた5日間の「まちづくり」ワークショップの様子が、豊富な写真資料とともにステージで報告されました。同時に「劇場」という非日常の空間を日常としている芸術家が、自身の言葉でウチとソトの世界をつなぐ貴重な場ともなりました。昨夏のワークショップは、準備段階から講師と学生スタッフとの「まち歩き」が重ねられ、アートの視点でまちを捉え直す作業が行われたそうです。ここでスタッフ同志がお互いの「視点」を分かち合うことで、思いがけないアイデアが引き出されワークショップの内容も豊かになる。劇場いっぱいに子どもたちと芸術家がつくりあげた「もうひとつのふちのべ」は、リアルと夢が混ざり合った「未来のふちのべ」でもあるのです。それと同時にラジオやツアー、盆踊りやSNS(巨大伝言板)などの仕掛けも施され、ワークショップに関わった全ての人たちの「つながりの物語」も見えてくる理想的なコミュニティの在り方も示唆していました。

生の舞台や音楽は「その場限り」の儚さと美しさを秘めた時間芸術です。けれどもそこに「教育」の視点が加わった時、関わった芸術家にはソトに向けた言葉を用意し、伝える責任が生まれることをあらためて意識したひとときでした。一番前の席で熱心にお二人のレクチャーを聞いていた小学生たちが、最後に「こんなワークショップに参加してみたい!」と感想をくれたのが何より嬉しい瞬間でした。みんなでまちを歩いたり実際につくってみる体験は、子どもたちの想像力や創造性を養うと同時に、暮らしを内側からデザインして外の世界とつながる「生き方」に気づかせてくれる大切な機会となることでしょう。同時に劇場や舞台芸術を積極的に外にひらこうとする芸術家の存在に希望を感じるのでした。

 

◎劇場いっぱいにジオラマをつくることから、つくえの上での小さな模型づくりまで、さまざまなアレンジが可能の「やまけん&スズケン まちづくりワークショップ」。ご興味のある方は詳細資料を差し上げます。コネクトまでメールでお問合せ下さい。

 

※今回の「まちあるき」と「サウンドウォーク」については、後日あらためて「ともに歩くこと」をテーマに考察レポートをおとどけします。


2014年度プルヌスホール劇場ワークショップ「おいでよ、ぼくのまち~もうひとつのふちのべをつくる」から
2014年度プルヌスホール劇場ワークショップ「おいでよ、ぼくのまち~もうひとつのふちのべをつくる」から


音のワークショップ@ひなた村(町田市)

町田市の青少年施設「ひなた村」で開催された町田市レクリエーション連盟主催「町レクのつどい」特別プログラムとして、コネクト代表のササマユウコが講師を務め、参加者の皆さんにサウンド・エデュケーション(音のワークショップ)を体験して頂きました。「ひなた村」の名前の通りお天気にも恵まれた、穏やかで気持ちの良いワークショップ日和でした。

レクチャーでは「そもそも、音のワークショップって何するの?」から始まり、耳の準備体操の時間、おしゃべりしないで森を歩くサウンドウォーク、音であそぶ時間などを1時間半にわたって体験して頂きました。特にサウンドウォーク終了後の「音のたからもの発表会」では、足音、鳥のさえずり、野球場の掛け声、車の音、風の音、犬の声、遊具の音、水の音などなど、皆さんそれぞれの「耳」が捉えた「ひなた村の音風景」を分かち合いながら、お互いの「耳(世界)」を知る時間となりました。ほんの少し意識を変えて耳をひらくことできこえてくる、見えてくる自分と他者の世界。そこには正解のない世界、共感や調和、多様性を知る時間も内包されています。

またこの日は、3月に空耳図書館で講師を務めていただく作曲家の橋本知久さん(相模原アトリエ・ラーノ主宰)が遊びに来てくれました。ワークショップの最後には彼の鍵盤ハーモニカの即興演奏と、ササマが持ってきた写真の音具を使って皆さんと自由に’セッション’。ソトの世界に耳をひらくと、身体の中から音が生まれてくる不思議。円座になって、音風景を紡ぐように音を出していると、指揮者や楽譜がなくても自然とオンガクが生まれるのです。

特に子ども対象のワークショップでは、いきなり「オト」を出すとたいがいは「音のカオス」になってしまいます。音を出す人の「耳」が「きき方」や「他者の存在」に気づいていなければ当たり前の結果とも言えます。逆に言えば、ウチとソトにひらかれた耳は他者ともつながり、自分と違う耳(世界)の存在、そして音風景とは何かに気づいています。その存在を知った時、自分が出す音の質やタイミングは自ずと変わってきます。それはいわゆる「空気を読む」ようなネガティブな変化ではなく、音風景を自分からデザインするという積極的な意識の芽生えです。「オンガク」は身体リズムや五感を通して世界とつながる「関係性」であることの気づきとも言えます。

「耳」を意識して、シンプルに「きく」こと。そこから始まる小さな気づきの連続が、いつしか世界へとつながっていく。そのダイナミズムこそが、サウンド・エデュケーションいちばんの魅力です。今回は少し専門的なお話になってしまいましたが、音のワークショップは音楽的な知識や経験が無くても、誰にでも参加できるプログラムです。提唱者のカナダの作曲家/M.シェーファーが「音楽教育は全的教育である」と考えたようにコミュニケーションや福祉の場などにも応用ができる多面体の教育テキストとも言えるのです。(ササマユウコ記)


映画「パーソナルソング」

 今日は「立春」です。太陰太陽歴の24節気は季節の変わり目という宇宙のリズムを知る暦。同時に、人間の体内にも宇宙と同じリズムが刻まれ「内なる音楽」が流れていることに気づくきっかけも与えてくれます。

 そこで『パーソナル・ソング』という興味深いタイトルの映画のご紹介です。初めにお断りとして、チラシのキャッチコピー「音楽がアルツハイマー病を劇的に改善させた!」は、この映画の’本質’を伝えていないと感じました。なぜなら、おそらくこの映画に興味を持った多くの人が期待するような「音楽で認知症が治った!」的な’健康映画’ではないからです。むしろ原題にある「ALIVE INSIDE」の通り、「人と音楽」のつながりから「生きる」を見つめ、高齢者福祉や医療制度など生命に関わるさまざまな問題を提起した社会派ドキュメンタリーだと思いました。それでもやはり音楽が脳に与える影響は興味が尽きません。20世紀半ばに青春を過ごしたアメリカの人たちには自分だけの「エバーグリーン(不朽の名曲)」が数多く存在する。「パーソナルソング王国」だったこともわかります。同時に、思い出の「歌」やそれに付随する幸福な記憶、人との関係性の有無、つまりはどのように音楽と関わり「生きて」きたのか、ということが何よりこの’療法’の効果を左右する条件だと思いました。
 この映画の中では、ヘッドフォンによって個々の好みの音楽を聴かせることを「音楽療法」と呼んでいます。脳にダイレクトに刺激を与え効果を得ようとするのは西洋医学らしい発想ですが、しかし音楽には「心」が複雑に絡んでいるのではないでしょうか。患者たちが見せる感動的な瞬間は、自分にヘッドフォン(音楽)を手渡してくれた人(外 OUTSIDE)の存在に気づき、孤独で苛まれていた心(INSIDE)が、音楽で想起された思い出によって救われた瞬間なのかもしれないと感じました。それほど「老い」を嫌うアメリカの高齢者施設には孤独の空気が漂っている。もし仮に音楽が認知症患者(の脳)に「効く」と医療で認定され、全国の高齢者施設にヘッドフォンが特効薬のように配布されても、孤独が癒がされない限り映画のような感動的な「効果」は得られないかもしれません。作品の最後に涙を流して「Thank you」とつぶやいた男性の感謝の気持ちは、「音楽の力」そのものよりも、筆者には自分にヘッドフォン(思い出の歌を聴く機会)を与えてくれた「人」に対しての感謝だと受けとめられました。音楽は自分の内の世界(INSIDE)と外の世界(OUTSIDE)をつなぐ媒体だと筆者は思っています。もちろん音楽がただ「鳴り響く空気」として存在しても、もしかしたら脳が刺激され同じような結果が生まれるのかもしれません。むしろ音楽以前の「オト」であっても何らかの’効果’はあるのでしょう。ただ「音楽は認知症に効く」と断定することは、「音楽とは何か」という根源的な問いを置き去りにすることになり兼ねません。
 このコネクト通信でも高齢者施設の音楽療法ボランティア「歌う♪寄り添い隊」の活動をご紹介しましたが、あの活動の現場でも映画と同じような光景は見られました。それと同時に「音楽を奏でる人、歌う人、寄り添う人」という和やかで幸福な場の雰囲気や関係性も見過ごすことは出来ませんでした。また、筆者がここ数年コンサートをさせて頂いてるホスピス病院でも、無表情だった認知症の方が思い出の曲に出会うと同様の反応を見せることがあります。もしかしたら生演奏ではなくCDでも同じ反応は生まれるのかもしれません。しかしそこで無視できないのは、やはりCDデッキのボタンを「押す人」と患者との関係性、その患者さんと音楽との関係性だと思います。薬の臨床実験のように「音楽」のみを科学的に検証していくことは、芸術を「道具」に貶め、音楽の最も大切な部分を切り落としてしまう危険性も孕んでいると感じます。

 世界はあと数十年もすれば多くの先進国が高齢化に突入します。まったく戦争なんてしている場合ではないのです。その中で、日本は今や「高齢化の先進国」なのですから、人類の’幸福な’未来のために出来ることは山ほどあるはず。今回のようなヘッドフォン療法だけでなく、生演奏やスピーカーからの鳴り響く空気を全身で受けとめる音楽、他者と音楽を共有し共感する場や時間の質や意義、オンガク以前のオト(自然音や環境音)そのものの力など、「音楽とは何か」という哲学的な問いも含めて、人間の内側(生命)と音楽の関係性には不思議さと未知の部分が沢山残されています。芸術と科学はもっと歩み寄る必要があると思います。
 この映画を観ている時に、宮澤賢治が『セロ弾きのゴーシュ』で描いた「野ねずみのこども」の病気を治すシーンを思い出しました。はたして、セロを弾いたのがゴーシュでなくても、野ねずみの子どもの病気は治っただろうか?音楽を奏でる、またはそこに付随する「人間」そのものを見つめることを決して忘れてはいけないと思うのでした。
(2015.2.3ササマユウコ記)

 

2017.6.9追記

先日、10年目となるホスピスコンサートで、はじめて音楽療法士さんのご協力を得て、患者の皆さんが「夏の音風景」をつくって頂く中でのピアノ演奏を試みました。音楽を一方的に「与えられる」存在から一歩踏み出し、自発的に音に関わることから見えてくるリレーショナル・ミュージックの可能性も感じました。


CONNECT+「音楽×やさしい哲学カフェ」@日本橋DALIAを開催しました。

今田匡彦氏 photo(C)YukoSASAMA
今田匡彦氏 photo(C)YukoSASAMA

   芸術教育の実践者/研究者の勉強会を兼ねた不定期スピンオフ企画CONNECT+(コネクトプラス)。今回は代表のササマユウコが主催となり「音楽×やさしい哲学カフェ」第1弾として弘前大学の今田匡彦教授をお迎えした「音さがしの世界~M.シェーファーとサウンドスケープ」を開催しました。【協力/鈴木モモ(minacha-yam主宰、ストリングラフィ、つむぎね演奏家)、浦畠晶子(音楽家)、村松純子(BABY in ME主宰)】。

 今田氏は国立音大卒業後、出版社勤務を経て、サイモン・フレイザー大学、ブリティッシュ・コロンビア大学で学んだ1964年生まれの哲学博士。日本の子供向けのサウンド・エデュケーションのテキスト『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(春秋社 増補版2009)をM.シェーファーと共に出版されています。弘前の今田ゼミでは、学生たちの自由闊達な意見交換の中で音楽の哲思的思考が深められ、音楽教育の現場や研究者たちにとっても常に新しい風となっています。今回はゼミの雰囲気を少しでも再現できればと、日本橋のモロッコ食堂DALIAさんにご協力を頂き、音楽的な「哲学カフェ」空間が実現しました。当日は活躍中の若手音楽家を中心に、美術や建築や教育など様々な分野から20名の方が集まりました。

 前半では「そもそも哲学とは何か」をお話から考え、後半は参加者も一緒に身体を使いながら、弘前のユニークな授業活動がDVD動画と共に紹介されました。レクチャーの後は和やかな歓談の場となり、先生との対話も含め、分野を越えた参加者同志も活発な意見交換や交流の場となりました。言葉を越えて存在する音楽を考え、そしてあらためて自分の身体を捉え返す。そもそも音楽とは何か、何が音楽か。特に若い世代にとっては、常に真摯に問いかけながら芸術や教育と向き合うことの大切さをあらためて意識する機会となったようです。

モロッコ食堂DALIAにて 休憩中の一コマphoto(C)Yuko SASAMA
モロッコ食堂DALIAにて 休憩中の一コマphoto(C)Yuko SASAMA

 

スピンオフ「CONNECT+」は芸術家と研究者、さまざまな分野をつなぎ、お互いの学びや表現を広げつつ深める場です。

 ここでの出会いや自由な意見交換が、それぞれの活動や研究にフィードバックされて、最終的には社会にひらかれていくことを目指します。