《記録その①》『翻訳できないわたしの言葉』展 付属コラム『翻訳とは何か』

天井には見慣れたモノが。
天井には見慣れたモノが。

〇この記事は【ササマユウコFB記事に加筆したものです】

 4月18日から東京都現代美術館でスタートした展覧会『翻訳できないわたしの言葉』。5人の出展作家のひとりである新井英夫さん&板坂記代子さんの陣中見舞いに訪れた会場では、約1ヶ月ぶりにカプカプ新井一座が集合しました。

 5人の多様な言葉が響き合うなかで、美術・音楽・身体表現の境界にある新井さんの展示テーマは「カラダの声に耳を澄ます」です。野口体操の哲学をベースにした”体奏家”としてのワークショップ活動、そして現在ALS患者として生きる日々への想いが込められた内容となっています。

 音楽と美術の境界とも言える《世界をきく態度》は、筆者も折に触れご紹介している《サウンドスケープ》という世界の捉え方とも重なります。2015年から横浜地域作業所カプカプ(新井一座)でのワークショップ現場をご一緒して以来、野口体操の哲学との親和性にも注目してきました。音楽にとっての”アール・ブリュット”は可能か否か。音ではなく身体からアプローチすることで見えてくる世界を体験してみたい方にもおすすめの内容となっています。

 一方で壁に展示された映像作品《即興ダンス日記》にも注目して頂きたいと思いました。既に知った映像ではありましたが、病の前/後をまとめて観ると、ALSという病を得た今の新井さんにとって、芸術が今までとは違った意味で自らの《生きる力》になっていることが解ります。会場に置かれていた担当学芸員・八巻香澄さんによる5人の作家のインタビュー記事のなかで《脳も体の一部だから体奏家を名乗り続けたい》という新井英夫さんの言葉も印象的でした。ぜひゆっくりと両者の映像を見比べて頂きたいと思います。

 長い歴史の中で、人間はなぜ(昨今の風潮で言えば)非効率的で無駄とも言える《アート/芸術》を手放さなかったのか。アートや音楽は《言葉》そのもの、時にはそれ以上の存在ですが、《言葉》が溢れている現代ではアートをアートのままに受け取ることの方が難しくなっているとも感じます。《翻訳》とは自分の言葉で解釈することではなく、相手の言葉に耳を澄ますことでしょう。ちなみに《サウンドスケープ》を提唱したR.M.シェーファーはもともと画家志望でしたが、生まれながらに抱えた重い視覚障害のために夢を諦め、音楽に転向して結果的にカナダを代表する現代音楽家になりました。氏が重い視覚障害者だったと公表されたのは2021年の夏、88歳で逝去された後のことでした。

 また後日あらためて全体像を拝見したいと思いますが、南雲麻衣さんの「ろう者の母語」をテーマにした映像をはじめ、マユンキキさんの「アイヌ語とアイデンティティ」、ユニ・ホン・シャープさんの「国籍と第一言語」、金仁淑さんの「在日外国人コミュニティ」を見つめた作品など、各展示の多様な「ことば」が響き合いながら深くて大きな「問い」が投げかけられた展覧会だと思います。関連企画も続々と決まっていますので、引き続き専用サイトをご注目ください。

 〇東京都現代美術館「翻訳でいないわたしの言葉」専用サイト

 

〇学芸員の八巻香澄さんの記事

https://artscape.jp/focus/10182871_1635.html


なんでもワークショップ!
なんでもワークショップ!

【写真左】

 車椅子マークが置かれた会場の一角に自らを「展示」して、視線入力体験をワークショップに転化している新井さん。美術館でも劇場でも病院でも学校でも、どんな場所でも、そして車椅子になってからも、そこに生まれる世界の質感が変わりません。展示を担当された舞台美術家・長峰麻貴さんのポップな世界観ともよく合って、会場全体が朗らかな空気に包まれていました。「病状が進行した」と伺った直後の再会で心配もありましたが、ひと安心。

おなじみの花吹雪が舞い散る
おなじみの花吹雪が舞い散る
板坂さんの手仕事が映える《鈴ジャケット》
板坂さんの手仕事が映える《鈴ジャケット》

シリアスな内容も盛り込まれた学芸員による出店作家5人のインタビュー。
シリアスな内容も盛り込まれた学芸員による出店作家5人のインタビュー。
カプカプの記録映像でお世話になっている飯塚聡さん親子と。
カプカプの記録映像でお世話になっている飯塚聡さん親子と。


【翻訳とは何か】

 1987年の昭和時代。筆者が大学を出てアートフィルムの配給会社に入り、最初に担当したのが《字幕》の制作でした。台本の台詞が英語以外の場合はまず英語に《直訳》して、それから字幕専門の訳者に日本語に《翻訳》してもらいます。《直訳》と《翻訳》は当然違うのです。

 初めて仕事をご一緒したのが、あの字幕翻訳の第一人者・戸田奈津子さんでした。当時はフィルム映画でしたから、ひとつのコマに入る(フィルムに薬品で穴をあける)字数も限られていました。翻訳された台詞は1枚づつ、専門の《字幕用の文字》を手書きする職人さんによってステンシル台紙のように《フィルムに穴をあけるためのカード》となります。ここには台詞のエッセンスを一瞬でつかみ、時には大胆に”意訳”された名人芸が詰まっていました。例えば《Get out!》を《出ていけ!》とするか《大嫌い!》と訳すか。台詞を吐いた登場人物の心情や話の流れにも関わる上でも大事なのが《翻訳》です。

 ここ数年のコロナ禍では、手話通訳を通してろう者の方とオンラインで対話する機会が何度かありました。通訳者も含め、お互いの顔をみて話せるので、対面で横並びになって話すよりもある意味で話しやすかったとも言えます。ただ後日、その時の「文字起こし」を読むたびに違和感を持ってしまう。手話通訳者の《音声》がそのまま《文字》になった「言葉」が、ろう者が手話で話した「言葉」と印象が違うことがあったからです。つまり《音声の文字起こし》は《翻訳》ではないのです。それは通訳者の技量や知識量とは基本的に関係なく起こる問題でした。なぜなら自分が話した言葉の文字起こしにも同様の違和感を感じたからです。「話し言葉/書き言葉」の違いと考えた方が良いかもしれません。

 手話を含む《通訳者》は、その時に起きている《対話の流れを止めないこと》が最重要任務です。言葉の選択には瞬時の判断が求められます。話者も文脈を共有しているので、ある程度《直訳》であっても脳内で補完したり推察できます。もちろん通訳者の技量が高ければ密度の濃い対話が生まれますし、芸術の文脈まで《翻訳》される場合はとてもスムーズに対話が進み、特に問題なくその場は終わります。

 それが後日《文字》になったとき、話された《言葉》の意味が大きく変わってしまうことがある。話者の知性や個性も隠されてしまったと感じる場合もあります。リアルタイムの《話し言葉》が時間を経て《文字》にされるとき、言葉の背景にあった文脈を補う《翻訳》が必要なのです。《文字起こし》だけでは、対話の場に生まれていた空気感、細かなニュアンスや文脈までは記録されない。それは《聴いた》オンガクを言葉にするくらい非常に難しいことなのも確かです。《言葉》は単なるコミュニケーションの《道具》ではない。

 だから実際に話した本人が文字に《翻訳》した方が早い場合もあります。そして、こんなにも自分の《文字と話し言葉》は乖離しているのかと愕然となることもある。だからこそ非言語芸術には、言葉では決して掬い取れない《何か》を伝える役割があると思っています。


《おまけ》

 1995年の開館当時から《現美ゲンビ》を知る自分にとっては、30年後の「21世紀」を本格的に感じるひと時でもありました。「現代アート」や「現代音楽」の「現代」もアップデートされていく。きっと学生の頃に想っていた《現代》の概念も既に過去のものです。1986年に開館したサントリーホールも、65年前に開館した国立西洋美術館も価値観が更新されていく。この国の「芸術」は音楽教育も含めて、明治以降150年間の「西欧化」の見直し期に入っているはずです。専門性を伴う「西洋のことば/ロジック」が語り損ねてきたものは何かを見つめ、母語を見失った状態からの語り直しを諦めない。今まさに、さまざまな場所が次世代によって柔らかに解体され、再構築され始めたと感じています。


執筆:ササマユウコ(音楽家・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)

2011年の東日本大震災・原発事故を機に自らと音楽の編み直しを始める。《音楽、サウンドスケープ、社会福祉》の実践と研究のなかで芸術を問う対話の場をつくっている。アートミーツケア学会理事、日本音楽教育学会、2023年日本音楽即興学会奨励賞。即興カフェ、ろう者のオンガク対話、空耳図書館の管理人、カプカプ×新井一座メンバー。