クラウドファンディング『祝福へ 天と地の和解』を観て。

開催日時:2023年7月17日(月・海の日)14時~17時頃まで

場所:北区北とぴあ展示ホール

表現 : 新井英夫・安藤榮作・板坂記代子

舞台監督 : 御園生貴栄

制作 : 三ツ木紀英

撮影 : 阪巻正志・八幡宏

編集 : 阪巻正志

※以下、文中の敬称略は何卒ご了承ください。

車椅子さえ芸術の道具となる。撮影:ササマユウコ
車椅子さえ芸術の道具となる。撮影:ササマユウコ

「美しい時間」

  鮮明に覚えているのに、なかなか言葉にならない夢のようだった。2023年7月17日14時、北とぴあ地下の展示ホールに立ち現れたあの時間とは何だったか。とても美しかった、という手触りは確かに残っている。それは皆既月食のように、遺跡を照らす夏至の光のように、宇宙の法則が引き起こす「現象」のようだったとも思う。この日の東京の最高気温は36度を越えていた。全ては「新井の体調次第」という不確定要素もあった。その時間の中で8年越しの約束は見事に果たされた。

 考えてみれば、未来のことは初めから誰にもわからない。人と人はどれほどの約束を交わし、そして果たせずに終わっていくだろう。数時間先のことでさえ約束できないということは、東日本大震災・福島原発事故の体験が教えてくれた。けれどもこの時の誰もが7月17日を信じていた。この約束は何か大きな力に守られていると直感したからだと思う。ARDAの三ツ木紀英を世話人とした立ち上げから4ヵ月、クラウド・ファンディングの目標金額はわずか2日で達成された。芸術家と企画者の幸福な出会いが化学反応を起こし、周囲の人たちの心を動かした。その一連のタイミングは文字通り宇宙の法則のような偶然の必然だった。猛暑のなかで全国各地から150名近い人が集まった。私もそのひとりだった。この約束はオンラインや仮想現実では果たせない。新井と安藤、ふたりが同じ空間に身を置かなければ意味がない。その時間をみんなで共有したい。それはコロナ・パンデミックで失われつつあった確かな「生の時間」への渇望でもあったと思う。

 3時間近くに及ぶ祝祭感あふれる約束の時間が終わると、展示ホールのモノたちがどんどん撤収された。空間を鳴り響かせた150名の声も、時を刻む斧の音も幻のように消えた。がらんとした地下の空間。そこに意味を与えていたのは、光や影や音、何よりも人の存在だった。もしかしたらこの場所は、古代洞窟につながっていたのかもしれない。原初の人たちは自分が確かに存在し体験した記録として、洞窟の壁に手型や絵を残したのかもしれない。
 イベントが終わると、SNSには直ぐに参加者の声や写真が寄せられた。記録映像も残された。思い思いの「言葉」がネット上に記録される。何より手元には無垢の人型(モノ)が残された。安藤の手と斧から生まれた2000体の木彫人型は「大事なことを忘れないために」刻まれたという。私は自分から最も近くにあった人型を手に取った。人と人の出会いのように、たまたま出会ったという偶然を大事にしたいと思った。家に戻って壁に飾ると、頭部に残された刃跡の凹凸に光が当たり、そこに新井の顔が立ち現れた。

 参加者の声を読んでいると、私にこれ以上言葉にできることなどあるだろうかと思わず手が止まる。自分はどこか感動の輪の外にいて、新井の「ハレの日」を俯瞰していた。カプカプ新井一座で音をつける時のように、とも言える。この時間を目に焼き付けて言葉で記録すると新井と約束していた。しかし身体と彫刻が生み出す非言語の世界は最初からとても音楽的で、そもそも言葉がおよばない場所にあると感じていた。

 そうこうするうちに記憶は人型のように輪郭線だけを残して、どんどん曖昧になっていく。1週間近く経ったいま、はっきりと残ったのは「美」だけである。最終的にカオスと化した会場の真ん中で、何とも嬉しそうな顔をした新井の笑顔を思い出す。板坂のワークショップの最中、人型を手に会場を歩きながら言葉を交わした安藤の真っすぐな明るさを思い出す。ふたりの陽気さは持って生まれたものかもしれない。あるいは想像を越えた人生の試練を受け入れ浄化した/葛藤し続ける人間だけが持つ、ある種の達観なのかもしれない。だから彼らの芸術は(この時間そのものを芸術と呼ぶならば)誰かの心を救う。生きることを肯定する。木喰仏のように微笑んでいる。

 

 パフォーマンス前の新井は肩の力が抜け(病気のせいではなく)、気負いのない様子で場に臨んでいるように見えた。何より今日はアーティストを評価しようとする上からの眼差しがない。誰もが安心して心をひらける場の雰囲気は、新井と板坂が各地のワークショップでつくってきた質感と同種のものだろう。本当の意味で「無垢」になれているようだった。安藤の彫刻のように飾らない無垢だった。

 新井はよく「美しいものをみたい」と言う。自己と他者の間に生まれるその「美しさ」とは何か。時に葛藤する姿も垣間見てきた。実際、新井と板坂のつくる現場には「美しい瞬間」があちこちに生まれては消えていく。それは儚く、触れようとすると壊れてしまうシャボン玉のようだ。記録することさえ許されないデリケートな現場もある。誰にも気づかれないまま、多くの美しい時間が過ぎた。それを「もったいない」と感じてしまう自分もいた。細部に宿る芸術の神さまを、夢のような瞬間を、せめて言葉で残しておきたいと思った。

 ところが儚く消えたと思っていたその「美しい瞬間」は、新井と板坂の記憶や身体に深く刻まれていたのだ。それが走馬灯のようによみがえり、世界を祝福する光となってこの日の会場を包み込んでいた。新井は特別なパフォーマンスをした訳ではない。いつも通りの、むしろいつもより無垢に、自分自身を観客たちの前に差し出していた。包み隠さず、ひらいていた。

「こういうことをやりたかったし、やってきたし、これからも出来る限り続けたい、そう思いました」。翌日、新井から届いたメッセージである。

 7月17日の東京下町はお盆、よみがえりの時間の中にあった。


人型の川が氾濫した。撮影:ササマユウコ
人型の川が氾濫した。撮影:ササマユウコ

天と地を和解するもの

 2000体におよぶ木彫人型が同じ方を向いて、展示ホールの床を畝っている。それは生命力に満ちた無垢の川だ。ゆく川の流れは過去から現在、そして未来に続いていく。あるいはその時間を遡っているのかもしれない。生命の連鎖、人間の歴史、安藤が被害を受けた津波の記憶もあるだろう。その流れを見守るように、あるいは堰き止めるように、天と地から垂直に伸びた手がこの世での「和解」を求める。しっかりと組み合った指、触れそうで触れない指先。天と地は近づこうとしているのか、離れようとしているのか。その間に立つ人間に委ねられるものは何かと考える。

 観客の輪の外にいた新井が、電動車椅子に下げられた鈴を指先でチリンと鳴らす。楽器を持たずに音を鳴らすアイデアは病を得て生まれたものだ。その鈴は彼のワークショップで耳馴染んだ音なのだが、不思議と懐かしく感じた。神聖な「天」からの合図にもきこえた。この鈴の音に応えるように、観客の輪の内にいる安藤が目の前の木片に斧を振り下ろす。すると何とも迷いのない、しかし他者を威圧することのない力強い音が立ち現れ、空間を鳴り響かせた。その音をきいた瞬間、「この時間は永遠だ」と思った。安藤の音が木こりの斧と明らかに違うのは斧の刃先が守られていたからだ。斧は安藤の身体の一部であり、楽器でもあった。鼓動のリズムで時が刻まれる。その音は時間の川を遡り、会場を太古の洞窟へと変えていく。

 そのとき大地の鼓動に呼応するように、客席から声があがった。福祉の場を重ねてきた新井には耳慣れた声だろう。子どもの笑い声もきこえた。新井と板坂が出会った人たちの姿が、笑顔が想起される。ハプニングは新井にとって、祝福されるべき偶然の芸術だ。斧の音に絡み合う力強い声が、天と地をつなぐ生命力を象徴する。板坂が鳴らす小さな人型が音風景に奥行きを与える。人間が芸術を発見したという洞窟。そこにはきっとこの時のような歓喜のサウンドスケープが生まれていたに違いない。斧の音はしなやかな意思をもって奏でられている。3人は音をききあい、響き合っていた。

 電動車椅子の新井は観客の内を流れる水のように滑り出した。これは「ダンス作品」ではない。しかし、心の赴くままに踊る自由な即興とも違う。「天と地」を和解させるとはどういうことだろう。「高み」と「足もと」をつなぐことは芸術家の人生の最大のテーマだとも思う。安藤の手によって、ほとんど動かなくなった新井の膝の上に人型が山積みにされる。それをまるでパンのように、新井は客席に配っている。病を得たからこそ人に与えられるものがある。苦しみは抱え込まず、みんなで分かち合おうという態度。子どもが嬉しそうに笑っていた。

 

 「新井の体調次第」を前提に20分の予定だったパフォーマンスは40分となり、安藤のトーク、板坂のワークショップまでの全てがひと続きの「大きな時間」の中にあった。観るもの/観られるものとして分かれていた参加者はやがて混然一体となり、気づけば新井の身体も無垢の川の中へと置かれ、参加者の手によって人型で埋め尽くされていた。氾濫する川は周囲に肥沃な土地を生む。私たちは皆、溢れる水のようだ。それぞれが想い想いに人型と出会い、生命の音をきき、きき合った。最後にはその人型を自らの手によって天へと高く差し出した。
 天と地は和解し、8年越しに果たされた約束は祝福された。


よく生きるとは、よく生きること。

 病を得てからの新井の日常は、既に非日常である。だからこそ舞台表現者である彼にとって、表現の場(ハレ)という日常はとても大切だ。

1年で車椅子使用者となった日々の生活(ケ)を支える板坂の存在は何よりも大きい。ふたりの活動には電動車椅子だけでなく、さまざまなモノたち(福祉や医療用具)の存在が欠かせない。それは彫刻家にとっての斧と同じだろう。「ハレの日」は今後も不意に巡ってくるはずだ。宇宙の法則のなかで生きる限り、「美しい時間」は現象として立ち現れるだろう。だからこそ(ケ)が大切になる。
 芸術とは芸術家の生命を削るものではなく、生きる力を与えてくれるものだ。新井の芸術活動が今後も続くことを信じているし、新井と同じ病を得た人たちにも支援の輪が届くことを願っている。
 残り10日となったクラウドファンディング。ぜひご支援ください(7月末まで)。


〇映像は当日の速報ダイジェスト。現在、本編も鋭意制作中だそうです。


執筆:ササマユウコ(音楽家・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)

1964年東京生まれ。3歳から音楽を学び、上智大学在学中に欧州8ヵ国の芸術文化施設をリサーチ。卒業後はセゾン文化の総合専門職に就き、その後、公民問わず芸術文化事業の内と外に携わる。3.11以降はカナダの作曲家R.M.シェーファーが70年代に提示した「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」をテーマに実践研究を続ける。現在、東京芸術劇場社会共生セミナー講師、サントリーホール サマー・フェスティバル2023ミュージック・ディレクション等。アートミーツケア学会理事、日本音楽即興学会、日本音楽教育学会。
2000年代の音楽活動はYuko Sasama名義でN.Y.The Orchardより世界配信されている。