シネマ哲学カフェ+『LISTEN リッスン』上映会@上智大学グローバル・コンサーン研究所

 去る11月24日に上智大学グローバル・コンサーン研究所主催のシネマ哲学カフェ~『LISTENリッスン』上映会+哲学カフェが開催されました(進行役・上智大学哲学科教員・寺田俊郎先生)。CONNECT/コネクトは作品と大学の橋渡し、企画発案~実施までを協力させて頂きました。

 当日は、現在進行中の協働プロジェクト『聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性』メンバー(雫境さん、米内山陽子さん)と『LISTEN リッスン』共同監督の牧原依里さんが参加し、米内山さんは全体と対話の手話通訳を、監督お二人は最後の質疑応答に登壇しました。

 会場には学生を始め大学内外から約50名が参加し、入り口で配布された上映中の「耳栓」の使い方や目的が雫境共同監督から説明されたあと、作品鑑賞、その後は筆談・手話・発話の3種4グループに分かれての「哲学カフェ」が実施されました。

 文字、手、声。それぞれのコミュニケーション手段が生む対話の「雰囲気」の違いがとても興味深かったです。「手話」のグループは劇作家でCODA(Children of Deaf Adults)の米内山陽子さんの手話通訳で進められました(写真)。手話を使える聴者の方も多く、主に聾の方に向けての通訳となりました。彼女の手話通訳では情報伝達のみならず、言葉の「間」も含めた「言葉にならないこと」も絶妙なニュアンスで伝えられるのですが、これが対話の場での「非言語コミュニケーション」の役割にも気づかされる機会となりました。もし彼女がロボット翻訳のようにただ「情報」だけを機械的に伝えていたとしたら、そこに哲学的な対話が生まれたかは未知数です。

 「筆談」による対話グループの進行役は寺田先生が務められました。通常の「ソフィア哲学カフェ」の進行に加え、10年以上も街中で「哲学カフェ」を実施されている寺田先生にとっても、「筆談」による哲学カフェは初めての試みとなりました。この日の筆談グループの参加者は全員「聴者」でしたが、言葉(思考)をすぐに声にして伝えるのではなく、いちど自分の中で文字化して対峙する「時間差」があったこと、同時に全員の意見を見比べることが出来ることなどが、「新鮮な体験だった」と参加者から感想があがっていました。

 一方「発話」(通常スタイル)のグループでは、サウンドスケープの視点から対話にとって「声」がどのような影響を与えるのかにも注目して観察してみました。自分が他者に対してどのような「声」を放ち、どのような「話し方」をしているのかを音楽的に俯瞰してみる。「声」や「話し方」が対話の質感や内容そのものにどのような影響を及ぼすのか?輪の外側から「声の風景」を観察していると、先ほどの非言語コミュニケーションと同じように「音声」が対話にとって無視できない要素であることがみえて(きこえて)きます。

 この様子を一緒に見学していた両監督(牧原・雫境)さんに伝えると、それは「声」だけではなく、実は「手話」のコミュニケーションでも同様であると教えてくれました。

 大きい手話、厳格な手話、早い手話、静かな手話など、その人の「話し方」が同じように対話の質感を決めていくそうです。ですから手話の上手・下手というのはテクニックや語彙ももちろんですが、それ以上に手の動線の美しさや「間」、スピードや表現力など、話し声や話し方と同じ非言語の要素も重要であることがわかります。

 また、哲学を始めとする「言葉の学問」に聾者が参加する場合には、「情報保障」が何より大切であることが今回の気づきのひとつでした。手話通訳だけでなく、筆談、要約筆記(今回はPC画面上で全音声を同時に書き起こしプロジェクターでスクリーンに投影しました)等の対応が可能です。今回は見送りましたがUDトークの使用や、スマホのチャットも今後は視野に入ってくることでしょう。
 一言で「聴覚障害」と括ってしまいがちですが、ネイティブ・サイナーである聾者の使う日本手話、中途失聴者の日本語対応手話、また難聴者には手話が苦手な人もいて、それぞれの状況で対応が変わってきます。参加者にはあらかじめ「情報保障の方法」の希望を聞いて出来る限りの対応が大切ですし、そこをきっちりやっておけば、聾・聴の境界で哲学カフェ等を実施することは十分に可能だということです。このプロセスはそのまま異文化・多言語交流にも応用できると思います。

 哲学カフェには基本的に「正解」はありません。ディベートと違って決着をつけるものでもなく、モヤモヤを持ち帰っても良いのです。最初に「①人の話をよく聴く②自分の言葉で(受け売りでなく)話す③自分の考えは変わることを知る」の3つの基本ルールを共有し、あとは哲学の専門知識や専門用語は使わずに、誰もが参加できることが条件です。日常の延長線上に哲学が存在し、表現の自由を保障された上で各自が発言できる場は「民主主義」とは何かを学ぶ場とも言えます。ですから「哲学カフェ」は、音楽の専門教育ではなく全的教育の視点から誰もが参加可能なオンガクを学ぶサウンドスケープの「サウンド・エデュケーション」とも非常に親和性が高いと感じています。

 聾の世界にある音楽を描いた音のない映画『LISTEN リッスン』。そのキャッチコピーである「それは 音楽なのか?」という問いかけは、音を専門にする筆者にとっても衝撃的な「問い」でした。この日も参加者の音楽論や芸術論が絡み合い、さまざまな作品の受けとめ方、考え方があって、対話の時間が足りないほどでした。特にこの作品は観る人の感性や想像力に「委ねられた」部分も多く、だからこそ対話を生む「哲学カフェ」とは(この映画にとっても初めての試みでしたが)、とても相性の良い作品だと思いました。

 

 そして今もスタッフ、メンバー間で「対話」は続いています。今回の哲学カフェから最も学ぶことが多かったのは、そこに関わった私たちです。正直、「哲学」という言葉の領域で聾・聴の境界に集うことは容易ではないかもしれません。だからこそ、映画を始めとする芸術がその架け橋の役割を担う。対話を生む。その可能性はまだまだ始まったばかりです。またメンバー間の感想や考察の続きは、折を見てご紹介したいと思います。

 また今回の企画を快く受けとめて場を作って下さった上智大学哲学科の寺田先生、グローバル・コンサーン研究所の皆さまには、この場を借りてあらためてお礼申し上げます。

(芸術教育デザイン室 CONNECT/コネクト 代表ササマユウコ記)

 

【記録】シネマ哲学カフェ『LISTEN』上映会 

日時:2017年11月24日(金)18時~22時10分

場所:上智大学図書館9階921号

お話:牧原依里、雫境(『LISTEN』共同監督)※手話通訳有

進行:寺田俊郎(哲学科教員、グローバル・コンサーン研究所所員)

対象:一般、本学学生、教職員
お申込み・お問合せ グローバル・コンサーン研究所
共催:聾の鳥プロダクション
協力:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

 ◎通常の「ソフィア哲学カフェ」は次回1月12日「よく生きることを考える」です。詳細は上智大学グローバル・コンサーン研究所のサイトをご覧ください。