【講師の記録⑤】福祉と舞台芸術をつなぐコーディネーター・ファシリテーター養成講座(2022年度最終回)

記録①→「はじめに」10月

記録②→「現場実習:団地のピロティ編」11月

記録③→「横浜市の地域ケアプラザ編」2月

記録④→「祝祭編」3月


 10月から始まった「福祉と舞台芸術をつなぐコーディネーター・ファシリテーター養成講座」(令和4年度マグカル:かながわ芸術文化祭事業)は、去る3月30日に2022年度の最終回を迎えました。講師役のカプカプ新井一座(新井英夫、板坂記代子、ササマユウコ、小日山拓也)、実は”講師役”も担っていたカプカプーズ、そして受講生B班に加えてA班の見学希望者も加わり、午前・午後各回20名程度の大きな「ワークショップの輪」が出来上がりました。
 今回B班は各ポイントで2人組となってファシリテーションを体験し、「参加者」という輪の輪郭からさらに一歩、カプカプーズと共にある「輪の内側」に飛び込んで頂きました。その体験が世界をどのように変えたのか。ワークショップ後にカプカプ店内で行われた「ふりかえり」は、今年度の最後ということも重なり、いつしか2時間を超える深い「対話の輪」となっていきました。


3月30日の実施内容 
キーワード:はんなり、能舞台、温泉(レゲエ風「いい湯だな」)、花の季節、

 ルーティンワーク(なべなべ、椅子ヨカ等)のファシリテーター体験(Bチーム)

〇事前に用意した小道具

 扇子、着物(羽織)、へこ帯、ゴム輪(鈴付き)、風鈴、万国旗、風呂桶(打楽器用)など

〇音

 スピーカー2台使用(電子ミニピアノ、新井マイク用)、アップライトピアノ、シェーカー、マラカス、風呂桶、オタマトーン、ギタレレ、風鈴など

〇特記事項 

 午前中カプカプメンバーAさんの導入部(あっぱれ音頭)の工夫

 横浜能舞台(バリアフリー能)の体験を生かす


バリアフリー能の体験から。新井さんの「謡」ボイスパフォーマンスに、メンバーの身体が自然に舞う。 撮影:カプカプスタッフ福田さん
バリアフリー能の体験から。新井さんの「謡」ボイスパフォーマンスに、メンバーの身体が自然に舞う。 撮影:カプカプスタッフ福田さん

【バリアフリー能の体験から】

  今回のメインプログラムのひとつが「能舞台」でした。事前打合せの段階で、毎年メンバーのひとりがチラシのイラストを担当している「バリアフリー能」(横浜市能楽堂主催)に5人のメンバーが訪れたという近況を伺ったからです。「鉄は熱いうちに打て」ということで、貴重な芸術体験を他メンバーともシェアする場を作りました。

 演目は能『熊坂』と狂言『首引』。講師間では両者の動画を事前に共有し、掛け声や小道具の使い方などを検討しました。能の芸術性を大切にした「能舞台ごっこ」は、カプカプーズと共に本気で挑む体験なのです。この”本気でなりきる”体験こそ、舞台芸術と福祉が最もつながる時間だと感じます。扇子や羽織の衣装、鼓の代わりに用意された黄色い風呂桶も世界をかたちづくる大事な”小道具”でした。ピアノ周辺に飾った万国旗は商店街やカプカプ店内をイメージした日常の延長、舞台美術です。

 ちなみに能楽は江戸時代までは「猿楽」と呼ばれ、全国各地の共同体で親しまれてきました。カプカプーズが体験した横浜市主催のバリアフリー能は、介助者1名無料、点字パンフレット、手話通訳や字幕等の複数のアクセシビリティが保障された画期的なこころみです。どことなく敷居の高い印象がありますが、今でも金沢などは能をたしなむ市民が当たり前に存在しますし、自然の中で楽しむ薪能も全国各地で上演されています。庶民の娯楽として発展した歌舞伎も同様に、今も「農村歌舞伎」が全国各地で継承されています。カプカプにも歌舞伎の「見得」を切るのが得意なメンバーがいます。雨や風を表す歌舞伎の音楽はサウンドスケープ的で、音のワークショップのヒントにもなります。
 明治以降の西欧化にともない「劇場」が建てられていく中で、「舞台芸術」は人々の生活空間から隔離されていきました。舞台芸術の歴史をさかのぼっていくと「福祉」に出会う瞬間があるはずです。それはマリー・シェーファーが提示した「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」の道筋ともつながります。

ふたりから全員の輪へと向かう「なべなべ」の世界 撮影:参加者・谷居さん
ふたりから全員の輪へと向かう「なべなべ」の世界 撮影:参加者・谷居さん

【なべなべそこぬけ、温故知新】

 カプカプ新井一座では歌舞伎や能だけでなく、全国の伝統芸能や祭り、往年のヒットソング等から着想して、カプカプーズと共に毎年秋の「祭り」をつくっています。もともとサイトスペシフィックな野外劇をつくってきた新井さんにとっても、誰もが参加できる新しい身体表現の追求は生涯のテーマだと思います。

 中でも定番となっている「なべなべそこぬけ」は、2人組からスタートして最終的には全員で大きな輪をつくる人気のプログラムです。身体を柔らかく使うことが求められる2人の対峙から、全体の輪に「まきこまれて」いくプロセスの体験は、野口体操の哲学とも相まって、身体表現やコミュニケーションのワークとしても非常によくできている。みんなで歌いながら、テンポも尺も自由に変えられる音楽としての魅力もあります。昭和世代は子どもの頃に当たり前に遊びましたが、今は幼児教育などに限られていて、経験したことのない若者も増えています。このシンプルな遊びを、いかに「オモシロク」みんなで遊ぶか、そこにも舞台の経験が生かされるだろうと思います。

 伝承遊びは小さな共同体の内から生まれました。中でも異年齢の子どもたち、つまり「不揃いの身体」が生んだ「なべなべ」にはルールの弾力性と応用力を感じます。祭りや伝統芸能や民族音楽にも感じますが、身体の多様性が内在した芸術は福祉にもつなげやすいと思います。大きな子ども、小さな子ども、老いも若きも、もちろん障害を持つ身体性も含まれている。ファシリテーターは輪から外れた大人ではなく、その多様な身体がつくる輪のひとりとして存在するということです。

黄色い風呂桶も能舞台の鼓に変身  撮影:参加者・谷居さん
黄色い風呂桶も能舞台の鼓に変身  撮影:参加者・谷居さん

【ほぐす、つながる、つくる時間】

 新井さんは「ほぐす、つながる、つくる」をテーマに螺旋的にワークショップを組み立 てると話していました。ここには「協働的な学び」のデザインを研究する苅宿俊文先生(青山学院大学 教育学)が提唱したワークショップの4つの構成要素「身体性、協働 性、即興性、自己原因性感覚」との共通性が見られるということです。特に最後の「自己原因性感覚」とは「自分の行為が他者に影響を与える原因となっていることを感じる感覚」(Richard DeCharms )を表します。参加者だけでなくファシリテーターにとっても、内発的/自発的に場に関わりながらも全体を俯瞰する視点がいかに大切かということだと思います。

 これはサウンドスケープのマリー・シェーファーが提言した「内側からのサウンドスケープ・デザイン」とも通じます。自発的に世界と関わる意識や姿勢を持つこと。ワークショップは「言われた通りに動く/動かす場」ではないということです。誰もが場の主体となって、表現の自由が保障された安心感の中で、自己決定権をもって動ける場だということです。

 その中でファシリテーターは、「動こうとする人」の背中をそっと押してあげるような役割も担います。個人と全体の両方を俯瞰し、つなげつつ、他者が自発的に世界と関わることを促していく。上に立つ「先生」ではなく、共に在る人だということです。

〇新井さんより提供資料URL

 https://www.ipsj.or.jp/magazine/9faeag000000st7t-att/workshop1.pd

ファシリテーターも参加者もみんなひとつの輪の中に 撮影:カプカプスタッフ福田さん
ファシリテーターも参加者もみんなひとつの輪の中に 撮影:カプカプスタッフ福田さん

【共に在る、ということの難しさ】

  しかしファシリテーターを「共に在る人」と捉えた時、その「立ち位置」や「ふるまい」が、実は舞台芸術の演出やワークショップに慣れた人たちにとっては意外と難しいということが体験から解ってきます。
 今回の振り返りでも受講生から何度か話題にあがりましたが、例えばダンスは「先生」を真似する、演劇は演出家の指示に従う、音楽は演奏の指導をする等、専門性を伴う現場は「教える人→学ぶ人」という固定的な関係性の方が主流だということです。
 もしかしたら、「カプカプ新井一座」のワークショップは舞台芸術系のワークショップではないのかもしれません。しかし福祉系でもない。ではいったい「何を」ファシリテーションしているのか?という問いが生まれます。もちろん事前の打ち合わせの中で、カプカプーズの日常的な問題解決、心や身体の状況に応じた毎回の目的もありますが、実はそれすらも「きっかけ」に過ぎないと感じることがあります。はたして一座はどこを目指しているのか?
 新井さんはそこを敢えて「美しい世界」と表現していました。その「美」はワークショップに参加した人は感じ取れたはずです。しかし言葉にした途端、何かが失われてしまう。「美」は非常に繊細で壊れやすく、例えば「感動ポルノ」のように、マジョリティが身勝手に作っていく物語ではない。だからこそ「美しい」のだし、その世界の名前はまだ存在しないのかもしれません。音風景を担当している筆者としては、人と人を分け隔てている境界線が曖昧となり、話し声も器楽音もノイズもすべてが「響き合っている」世界が生まれたサウンドスケープを「美しい」と感じています。それは大袈裟ではなく森羅万象の世界です。
 ワークショップの輪の中心に立った時、参加者という輪郭に座っていたとき、そして輪の外から全体を見渡したとき、世界の見え方は当然変わります。ファシリテーターは内と外を柔らかにつなげ、個と全体を俯瞰し、みんなと一緒にあそびながら、時間配分や「終わり方」までを見据えている。頭の中がフル回転の新井さんのやり方は、誰でもすぐに真似できるものではないと思います。ただ「共に在ること」を手掛かりに、その場を本気で遊ぶ中で自分なりの方法論が見えてくる瞬間はあるでしょう。特に不測の事態が起きやすい福祉の現場では、チーム体制でのファシリテーションが視点も増えておすすめです。

輪の中央に板坂、輪の外に新井とササマ(ピアノ)、自由に動く小日山 撮影:参加者・谷居さん
輪の中央に板坂、輪の外に新井とササマ(ピアノ)、自由に動く小日山 撮影:参加者・谷居さん

【一座(チーム)という星座】

 この半年間で、新井さんが電動車椅子利用者となったことで、今期から小日山さんが加わった4名のチーム体制で講座を進めました。
 左の写真でわかるでしょうか。参加者の輪の中央には板坂さん、その輪の内と外を行き来する新井さん、新井さんの対角線上にササマ(ピアノ)がいます。新井さんとササマ(音)はアイコンタクトを取りながら即興的に時間配分を決めています。小日山さんは、カプカプーズと共に会場を自由に動いて(だからフレームアウトしていますが笑)、輪の内と外をつなぐ連絡係も引き受けていました。4名の関係性はフラットです。
 このフォーメーションは宇宙の星座のようだと感じています。このかたちになる以前は輪の中央には新井さん、板坂さんとカプカプーズが惑星のように動いていました。そして筆者がふたりが作る内の輪に対して、外の輪をつくるように音風景をつくっていました。ファシリテーターの人数によって星座のかたちは変わりますが、今は4名が星座のように響き合うとき、カプカプーズを含む会場全体が宇宙になったような感覚が生まれます。
 内側の星座が自発的に生き生きと輝き始めたら、メイン・ファシリテーター(新井)がいつの間にか輪の外に出ている機会も増えました。「自己原因性」に任せてみる。そこには信頼関係が大切ですし、一日限りのワークショップではなかなか難しいことかもしれません。しかし一日だけの場であっても、最初に天文図を描くようにファシリテーターの星座をイメージしておくこと、福祉施設の職員さんたちもその一部であることを、できれば事前に職員さんに伝えておくと、生まれる星座のかたちがまったく違ってくると思います。そこには舞台演出や演奏指導の「言葉」が生きることもあるでしょう。例えば、輪の内と外で自由に動き回るメンバーがいても、惑星や彗星のように捉えることができる。これは音風景(サウンドスケープ)でも同様で、音楽で誘導したりメンバーが音を出しては「いけない」場をつくるのではなく、どんな音が出ても響き合うような音の宇宙を意識します。

ここからどうやって終わるか。ワークで使ったティッシュを気持ちと共に手放していくメンバー。 撮影:カプカプスタッフ福田さん
ここからどうやって終わるか。ワークで使ったティッシュを気持ちと共に手放していくメンバー。 撮影:カプカプスタッフ福田さん

【はじまりのタイミング、終わり方の大切さ】

 新井さんは受講生のファシリテーションを見た後で、「終わり方が大事だよね」と何度も言っていました。例えば、ファシリテーターが終わりたい時にプログラムを終わるのではなく、全体として「ちょうど良い瞬間」を見極めていくことが大切だということです。ひとつの場が終わるときにメンバーに「満足感」や「達成感」が生まれると、次のプログラムへの「期待感」にもつながります。前述の内容とつながりますが、ある「美しさ」をもってその時間を終わらせること。これは即興演奏と同じ時間の流れだとも思います。
 逆に言えば、ワークショップの「始まり方」も大切です。その日の流れや雰囲気を決めるリズムや旋律を「予告」として提示しながら「音風景(サウンドスケープ)」を紡いでいきます。特にこの講座は「はんなり」がテーマですので、心拍数を越えないように一定のテンポを刻んでいきました。
 ちなみに今回は、環境変化が苦手なメンバーAさんの「入室」のタイミングが最初の山場でした。玄関から中に入れずにいた彼女にカプカプまほさんが寄り添い、そこには彼女が好きだというコミュニティの音頭が歌われて(踊られて)いる会場の音風景が届いていました。マラカスを手渡されたAさんはその楽し気な音頭につられて、自然なかたちで会場に入ることが出来ました。
 ワークショップの非日常感を日常の延長として捉えられるように、無理のない導入部の創意工夫はその後の流れを左右します。特に繊細な感受性をもつ人が多い福祉の現場では大切な心配りだと思います。会場の装飾に工夫を凝らしてもよいでしょうし、事前にメンバーの「苦手な音」の情報を入手しておいても良いと思います。例えば、楽器のチューニングをしながらいつの間にか始まるインド古典の即興コンサートのような、学校教育や劇場の「始まり方」との差異が可能になるのも福祉の現場に生まれる創造性の醍醐味だと思います。
 もちろん決められた時間の中でのプログラムや時間配分はありますが、その境界線は流動的・有機的です。みんなに「もう少しやりたい」という空気感がある、予想外に美しい瞬間が生まれていると感じたら、時にはファシリテーターが自身の直観を信じて時間の采配を振ることも大切です。


左から)ササマユウコ、小日山拓也、新井英夫、板坂記代子
左から)ササマユウコ、小日山拓也、新井英夫、板坂記代子

【全体をふりかえって】

 10月のオンラインからスタートした講座も過ぎてしまえば早かった。2022年度の最終回を無事に迎えることができたことを、カプカプ新井一座も本当に奇跡のように思っています。「奇跡」と書いたのは、既に各メディアやSNS等でご存知の方もいるように、メイン講師の新井英夫さんが進行性難病ALSと向き合っている中での開講だったからです。10月からの「半年後」は、新井さん本人もご家族でもある板坂さんも、関係者の誰にも想像ができませんでした。進行状況が人によって全く違うからです。
 この半年間は、いつにもまして即興力が試されました。そして何よりも目指したのは「いつも通り」にオモシロクありたいということ。「いつも通り」であるために最善を尽くすことでした。一方で不意の変化には臨機応変に対応する。大袈裟ではなく、当日朝まで流れが見通せない状況もありました。しかし考えてみれば、それはどんなに準備万端にしても不測の事態が起きてしまう福祉現場の日常そのものです。それは今、新井さんの日常でもある。いやいや、明日のことなどわからないのは実は誰にとっても同じことなのです。
 この3年近いコロナ禍で、カプカプだけはワークショップを継続していました。その裏では、カプカプスタッフ皆さんの計り知れない心配りがあったことを改めて感じています。「いつも通り」であるためには努力が必要だということです。
  今回KAAT神奈川芸術劇場を始め、マグカル事務局の皆さんも毎回ワークショップに参加されて、関わる人すべてがひとつの大きな輪になっていくような感覚がありました。個人的には懐かしい再会もありました。すべてが「これでいいのだ」と、舞台芸術と福祉がつながることでマジックが生まれていくのです。芸術の内にある創造性、想像性、即興力と福祉現場の日々で起きていることは実はそれほど違わない。生きるとは、芸術とは何かとあらためて考えるとき、そこに大義名分は必要だろうかと考えます。

 自分の中にある芸術を「誰に」「どこに」「どうやって」つなげるのか。芸術が福祉の現場とつながっていくことで、世界の何かが少しづつ柔らかに変わっていくことは確かでです。理由は簡単で、オモシロイからです。そして、人は誰でも必ず老いていくという「時間」に気づく。障害者/健常者という線引きは想像力の欠如でしかなかったことを知るのです。誰ひとり例外なく、身も心も抗えない時間を生きている。だからこそ人は舞台芸術という「夢の世界」を必要としてきたことに、ここで改めて思いを馳せてみたいと思いました。
 カプカプ新井一座(新井英夫、板坂記代子、ササマユウコ、小日山拓也)は、23年度も新井さんの身体変化と呼応しながらオモシロく続いていきます。大変長い記録となりましたが、引き続き「カプカプ新井一座」をどうぞよろしくお願いいたします。事務局の皆さまも大変お疲れ様でした。


〇おまけ
新井英夫さんのワークショップの根幹にある野口体操の哲学について、以下の書籍をご紹介頂きました。現在、ご自身の病と向き合う中でも「生き抜く知恵」として大切にされている本です。是非、ご一読ください。

 

『原初生命体としての人間』

 野口三千三著(三笠書房・岩波書店)1972年初版。

 当時東京藝術大学の「必修体育」を担当しつつ新劇劇団などへの指導もしていた野口三千三(1914〜1998)が、野口体操の理論を「原初生命体」という一般的ではなかった造語に託して綴った初の著作。野口曰く、「原始」は固定された過去の時間を指すが、「原初」は過去から現在につながり今もここにある「おおもと」を指す言葉だという。客観的なデータや分析でなく、未分化の「まるごと全体」として生きているからだの実態を捉え「自分自身の動きの実感」に基づいて、動きの原理および言葉・イメージ・動きの関係までをも言語化している野口の姿勢は他に類を見ない。「力を抜けば抜くほど力が出る」「自分とは自然の分身」「感覚こそ力なり」という野口体操のユニークな理論は、量的価値観を重視する体育界よりも芸術や哲学などの異分野で高く評価されてきた。(文責 新井英夫)  


令和4年度かながわ芸術文化祭(マグカル)事業
「福祉と舞台芸術をつなぐコーディネーター・ファシリテーター養成講座」
講師:カプカプ新井一座(新井英夫、板坂記代子、ササマユウコ、小日山拓也)、
   鈴木励滋(カプカプ所長)

主催:センターフィールドカンパニー合同会社


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記録:ササマユウコ(音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)

3歳からピアノを始め、90年代から作曲活動。2011年の東日本大震災を機に、カナダの作曲家R.M.シェーファーが70年代に提示した「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」をテーマに実践研究を展開中。
即興カフェ、聾CODA聴対話の時間など。カプカプ「新井一座」には2015年から参加。