代表コラム「最期の音楽とは何か、を考えるということ」

【代表ササマユウコ個人FBからの転載です】

 ここ数年、七夕の時期に巡ってくるホスピスコンサート「Mother Songs」が無事に終了した(非公開)。気づけば10年11回目となり春には立派すぎる感謝状まで頂いてしまったが、この場から「音楽とは何か」と気づかされることは果てしなく、いつも感謝しているのは私の方だ。

 昨日は星や宇宙や生命に思いを馳せて'サウンドスケープ'のお話もさせて頂いた。病院の音楽療法士さんやボランティアさん、最近は患者さんにも手伝って頂いて、天井の高いガラス張りの空間に星空を響かせる。私はただ自分を無にして、この一期一会の音の風景に100年歌い継がれた小さな旋律を放つだけだ。それは祈りにも近い。静かで透明な時間だ。
 人は尊く、そして強いと思う。例え余命を知っても、星に願う事、音楽に震える心、そして笑顔を最期まで失わない。ベッドのまま運ばれて参加される方もいる。昨日は最後に宮沢賢治の「星めぐりの歌」を弾いた。コンサートのあと「まさかここで大好きな歌が聴けるとは思わなかった、ありがとう」と涙された方がいた。新顔のボランティアさんは「音楽をきくのではなく、眺めるということを初めてしました。楽しかった」と顔を輝かせていた。
 最初の数年はいわゆる通常のコンサートをしていた。私はピアニストであり皆さんに演奏を届けにきた、というある緊張感を伴う一方的な関係性だったと思う。死にゆく人たちに向けた音楽は「完璧でなければ」と感じていた。しかし10年の月日の中で私の音楽や考え方が変わっていった。死は特別なことではなく日常の延長であり、私の音楽もその風景の一部であればいい。一期一会の時間や出会いを楽しめばよいのだと。音楽は媒体に過ぎない。だから最初に「私はピアニストではなく、皆さんと一緒に音の風景を編む音楽家です」と自己紹介を入れるようにした。すると「受け身」だった会場の空気も一変する。緊張感が解け、別の集中力が生まれることを感じるようになった。お見舞いのご家族が一緒に音を出すこともある。
 音楽とは何かを考えることは結局、人とは、人生とは、生きるとは何かを考えることに他ならないと思う。実は毎年「今年で辞めようか」と思って臨んでいる場なのだが、来年も約束して病院を後にしていた。私はなぜここに来るのか。そこにピアノがあり、空間に静かに響き合うこの場の音の風景、関わって下さる人たちが好きだからなんだと思う。

(コメント返答から追記)すでに"コンサート"という言葉も当てはまらない場に変化しているが、これは「人生の最期に何を食べたい?」と考えるのと似ていて、私の場合は「何を」より「誰と、どこで、どんな風に」の方が大切ではないかと思うようになったということだ。いつものおにぎりひとつでも美味しく感じる環境や時間の質が大切というか。もちろん過去に食べたご馳走や食べてみたかったものをあげる人もいるでしょう。それも生き方や人生観だが「死にゆく身体の声」は丁寧に聞いた方がいいのかなと思う。私のやり方が「正解」とは思わないが、終わろうとしている身体に栄養過多のご馳走はいらないと、10年間の経験から私は感じたということだ。頭では特上の鰻重がたべたいと思っても、きっと身体はいらないと言うだろう。これは「病院」という弱った身体が集まる場所で、どのような音楽が必要とされているかを考える上でとても大切なことだと思う。
 このコンサートの条件に「大きな音はNG」というのが最初にあったことも、いろいろ考えるきっかけになった。特にピアノは音が大きい。訓練を受けた音楽家は一方的に音を放つことに慣れすぎていて、目の前に誰が、どのような状態の身体に音を放つのかを想像する機会が少なかったはずだ。これからの病院や高齢者施設等で演奏活動を考えている若い音楽家たち、育成者たちには是非「サウンドスケープ」の思考をもってプログラムを組み立てて頂きたい。
 音は「物理的なエネルギー」だと立ち返った時、音楽家は常にそのことに神経を使わないといけない。「エネルギーを扱う立場」という意識を持つことは、もはや「電気の問題」と同様なのだ。


ササマユウコ(音楽家・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)

4歳よりピアノ、10歳より楽典を学ぶ。上智大学文学部教育学科卒。2000年代に出版したCD6作品は現在も世界各国で聴かれている。東日本大震災を機に弘前大学大学院今田匡彦研究室にてサウンド・エデュケーションを研究。サウンドスケープを耳の哲学に世界の内と外を思考している。芸術と学術をつなぐ・ひらく・考える「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表」www.coconnect.jimdo.com