CONNECTは何をコネクトしたか、しなかったか?③「考える」

①「つなぐ」 ②「ひらく」はこちらからご覧ください。

 「芸術と学術、人と人~つなぐ、ひらく、考える」を理念にしたコネクト活動のひとつの’着地点’は「考える」です。もちろん「つなぐ」や「ひらく」、その間のプロセスでも考えます。だけどそこにある「考える」と少し違うのは、3番目の「考える」には哲学カフェのように参加者が「音や言葉で対話する」場や時間があるということです。もともとコネクトは「サウンドスケープ」という考え方を実践考察する目的でスタートし、活動そのものを「耳の哲学」として捉えています。綺麗なポーズをつくることが最終目的ではなく、あくまでも根底にある哲学を学ぶプロセスとして身体を鍛えるヨガと似ているかもしれません。なぜならこの「サウンドスケープ」は、ヨガや禅など東洋思想の影響を強く受けたカナダの作曲家M.シェーファーによって提唱された考え方だからです。

 約40年前に出版された'The Tuning of the World'は、耳/きく/音から世界を捉え直す境界領域的(学際的)で先駆的な’学術書’です。ここではサウンド・エコロジー(音響生態学)という新領域の提案やヨガも例に出てきます。さらにユニークなのは、著書の全編を通して深い精神性や音楽性と科学を大胆に融合しただけでなく、この考え方が生まれた動機にはシェーファーの個人的な事情もあったということです。大学の旧態依然としたクラシック音楽教育の職に馴染めなかった彼は新たにコミュニケーション学科を立ち上げ、そこでの研究費のために考えだしたイノベーションでもあったことは40年前とは思えない先駆的な発想力です。実際に校舎の建設騒音にも悩まされていたという「日常」も後押します。ここで獲得した研究費から’World Soundscape Project’が立ち上がり、世界の環境(騒音)問題にも実際的にコミットしていきます。シェーファーの行動力や固定観念にとらわれない柔らかな判断力、クリエイティビティやセレンディピティの高さ、生き方そのものが芸術(音楽)的です。そこには矛盾も含みますので、科学的であろうとした当時のアカデミズムにはなかなか受け入れられなかったようです。

  このサウンドスケープ論が国内に紹介されたのは1986年。83年に夭折した池袋西武百貨店アール・ヴィヴァンのスタッフで「環境音楽」の作曲家だった芦川聡さんの意志を継ぎ、東京藝術大学の若手研究者たちによって『世界の調律~サウンドスケープとは何か』(鳥越けい子、小川博司、庄野泰子、田中直子、若尾裕訳 平凡社)が翻訳・出版された年です。同年、芦川聡遺稿集『波の記譜法 環境音楽とはなにか』(小川博司、庄野泰子、田中直子、鳥越けい子編 時事通信社)も出版されています。この2冊が日本の「サウンドスケープ論」の原点と言えます。

 「音の風景」と訳された詩的な言葉は当時の日本各地にまだ残されていた耳の文化や風土・自然とも合い、エリック・サティの「家具の音楽」やB.イーノの「環境音楽/アンビエント・ミュージック」のブームと共に広く受け入れられました。そこから文字通り都市のサウンド・デザインや音楽教育、環境学など、多角的なアプローチが全国的に展開され「サウンドスケープ」という’言葉が’各領域の解釈で定着していきました。ただしそこに付随する「哲学」に光が当たるのは1990年代に入ってシェーファーの音楽教育テキスト『サウンド・エデュケーション』(シェーファー著、鳥越けい子、若尾裕、今田匡彦訳 春秋社 1992/2009新版)『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(シェーファー/今田匡彦著 春秋社 1996/2009増補版)が出版されてからです。代表のササマユウコは2011年の東日本大震災・原発事故を機に、このサウンドスケープ論を弘前大学今田匡彦研究室で「耳の哲学」と捉え直し学会や論考の発表を続け、2014年から実践的な場を作っています。「哲学」ときくと堅苦しい印象があるかもしれませんが、シェーファーの「サウンド・エデュケーション」を応用して音楽の経験値だけでなく、耳がきこえる|きこないに関わらず、誰でも参加できます。特にコネクトでは音・言葉・身体を使って考えることを目標にしています。音楽教育では本来なら洋の東西に関わらずムジカ・ムンダーナ(天体の音楽)や森羅万象に共通する宇宙観、思想や精神性を知ることも欠かせません。これは非常に大切なことですが、明治維新以降、この国の学校音楽の時間は楽器演奏という技術に限られ、哲学に触れることはまずありませんでした。そこを音楽の内側から外の世界に伝える役割があると思っています。その上で、あくまでも今ここに生きるていること、日常から目を逸らさないことは大切です。「音の風景」のように人と人が共鳴し合う場や時間を大切に、「音のない音楽」が聴こえてくるような時間と空間を探求しています。
 この5年間「即興カフェ」、協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」(アートミーツケア学会公募助成プロジェクト)、「空耳図書館」(子どもゆめ基金助成事業・読書活動)、「路上観察学会分科会」の4つのプロジェクトを軸に、「サウンド・エデュケーション」のワークショップやアーティスト/研究者の言葉をご紹介する場をつくりました。ここでは音楽にとどまらず、美術、演劇、ダンス等、異分野芸術ともつながります。加えて、相模原市立市民・大学交流センターという「公共の施設」に拠点を置くことも、ひとつの実験として続けています。シェーファーが「公共性」を意識したように、活動を社会に「ひらく」発想が可能になります。そしてここで生まれた新しいアイデアや出会いから、参加者それぞれの場で新たな音楽を奏でてくれたらいいなと思っています。
 最終的な目標は活動を大きくしたり認知度を上げることには置いていません。「つなぐ→ひらく→考える」を循環しながら、さまざまな内と外が柔らかにつながり、その境界(間)に「自由」「即興性」「公平性」「自律性」が保障された有機的な場をつくること。そのオルタナティブな仕組みづくりを通して「サウンドスケープ」の哲学を共有することです。

 最近、「小さな場」の可能性についてアーティスト同志でも話すことが増えてきました。ここから2020年に向けて社会は今まで以上に「大きな芸術」「強い芸術」に注目することでしょう。そしてコネクトは、この「大きさ」に馴染まないモノ・コト・ヒトに丁寧に向き合っていきたいと思っています。そこで真摯に「考える」ことを疎かにしません。

 「この活動に意味はあるか?」という問いを、ずっと筆者自身に投げ続けています。それは同時に「生きることに意味はあるか?」という問いとなって返ってきます。芸術とは「指標」や「目標」を立てて「評価」を得る活動だけではありません。時には「無意味」で「無駄」だと解っていても、どうしても活動せずにはいられない、表現したいと思うことがある。誰も気づかなかったモノやコトやヒトの魅力に静かに光を当てることが、他の誰かの生を輝かせることもある。生産性や効率を優先する社会に対するアンチテーゼ、時には権力に対するカウンターとなり得る。それも小さな芸術の持つ、大きな力だと思います。社会全体がプラグマティックに同じ方向に舵を切ってしまうことに警鐘を鳴らす。シェーファーが1970年代の環境破壊や、米ソ冷戦の核の脅威が進む世界に対して「鳴り響く森羅万象に耳を開け!」と叫んだ理由もそこにあります。そして自身がクラシック音楽教育から弾き出されたときに「サウンドスケープ論」を掲げてみせたような創造性と逞しさ。芸術は生きる力であることがその軌跡が物語っています。
 コネクトは東京と神奈川県の境界にあります。都心からは「ベッドタウン」以上の実態が見えづらい地域ですが、町田市・相模原市周辺には芸術系大学が多く、実は卒業生アーティストが各所にアトリエを構えるクリエイティブな地域でもあります。相模原市藤野町は芸術村として有名ですし、昭和の新興住宅地にも人知れず高い芸術(アート)に取り組む高齢者たち、芸術系住民グループも沢山あります。都心とは明らかに違う、ゆったりと自然に寄り添う文化や時間が育まれている。「芸術」とは何か?何が「芸術」か?平成が終わる今、両市合わせて116万人(東京都の10分の1)が暮らす都市郊外で、21世紀型の新しい芸術、日常と非日常の関係性が生まれているように感じます。
 今後も拙い言葉でも丁寧に考え、コネクトから発信していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


ササマユウコ|音楽家・C0NNECT代表 80年代後半、日本初の文化専門総合職として社会人スタートするも紆余曲折。ずっと音楽活動とのダブルワーク人生です。2000年代に洋の東西を越えたCD6作品を発表。2011年の東日本大震災を機に演奏活動を一時休止し、境界領域的なサウンドスケープの哲学を研究しています(弘前大学大学院今田匡彦研究室2011-2013)。町田市教育委員会生涯学習部を経て、2014年に「耳の哲学」実践拠点・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト設立。芸術家や研究者が専門領域を越えて一個人として集いその「境界」に何が生まれるのか、何が可能になるのかを芸術の内側から提示しています。地域や大学連携ワークショップも。現在進行中:協働実験プロジェクト『聾/聴の境界をきく』、即興カフェ(音と言葉の哲学的実験)など。サウンド・エデュケーションを下地にした独自のワークショップもあり。お問合せ:tegami.connect@gmial.com