CONNECTは何をコネクトしたか、しなかったか?②「ひらく」

子どもゆめ基金助成事業・読書活動「空耳図書館のはるやすみ」より
子どもゆめ基金助成事業・読書活動「空耳図書館のはるやすみ」より

前回①「つなぐ」はこちらからどうぞ。
 今回は「つなぐ・ひらく・考える」の「ひらく」についてご紹介します。ここにはユニコムの入居条件である地域活性化や地域貢献も視野に入れながら、コネクトの主な4事業をご紹介します。

①ちょっと不思議な読書会「空耳図書館
 2015年春から全5回にわたって「子どもゆめ基金助成事業・読書活動」として展開しました。初回から4回までは町田市や相模原市と縁のある若手アーティスト(ダンサー・振付家:外山晴菜さん、音楽家(TOPA名義・橋本知久さん)にファシリテーションをお願いして、非言語表現者ならではの身体や五感の使い方、「絵本」を図形譜に見立てた「ナンセンス」な読書の時間をつくっていきました。現在この活動からはaotenjoというワークショップ・ユニットも誕生しています。またチラシのイラストを担当して下さったKoki Ogumaさん(当時・相模原市在住)は、ちょうど昨年秋にインドTARA BOOKSから絵本を出版され注目を集めています。

 2018年春は劇団青年団の俳優で桜美林大学講師も務める俳優・山内健司さんの一人芝居「舌切り雀」に「子ども哲学カフェ」の要素を取り入れた読書会をユニコムで開催しました。「哲学カフェ」の導入にはまだ時期尚早の地域かもと思いましたが、参加してくれた子どもたちは自分の言葉で語る「哲学対話」を楽しんでくれたようで、子どもたちの可能性の大きさも感じました。特にこの「舌切り雀」は、山内さんが文化庁文化大使としてフランス国内の児童館等で150回以上上演された平田オリザ演出・脚本のオリジナル作品です。「雀の舌を切る」という残酷さをオブラートに包むことなく、登場人物たちの複雑な関係性や心理を想像させ、道徳とは違う「良いこと|悪いこと」のグレーゾーンをあぶりだしていきます。学校では教えてくれないはずの「生きる知恵としての」芸術教育は学校の外にあることを感じました。www.soramimiwork.jimco.com


②即興カフェ
代表ササマユウコが所属していた弘前大学今田匡彦研究室の哲学カフェからはじまり、現在は「サウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを実験するプロジェクト」として、ストリングラフィ奏者の鈴木モモとともに、さまざまな音楽家や研究者と共に実験を重ねています。
 音・音楽と言葉をつなぐ|切り離す。従来のコンサートの枠にとらわれず自由な試みを実験しながら、「音楽とは何か?」という根源的なテーマに迫る「音の哲学カフェ」です。www.facebook.com/improcafe


③協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」2017年のアートミーツケア学会青空委員会公募助成事業として採択されました。聾者|雫境(舞踏家、カラダ)、聴者|ササマユウコ(サウンドスケープ、音楽家)、CODA|米内山陽子(劇作家、手話通訳、コトバ)の主要メンバーとともに、「境界」や「非言語コミュニケーション」をテーマにしたリサーチ活動やワークショップを展開しています。特に現在は聾学校でのワークショップも視野に入れたプログラム開発も目指しています。ご興味のある方は是非お問合せください。www.facebook.com/Deaf.Coda.Hearing/


玉川学園のはちみつ見学
玉川学園のはちみつ見学

路上観察学会分科会(2014~2017)

 初期の「つなぐ→ひらく」目的のなかで、最も「非生産的」でネットワークが広がった活動です。「歩く芸術活動」として、分野を越えた芸術家と研究者が出会い、一緒にさまざまな街を歩き考察し、また自分たちの活動へとフィードバックしていきました。
 現在この活動はリーダー鈴木健介(舞台美術家、青年団所属、桜美林大学講師)に受け継がれ、NPOでの街づくりや舞台美術の場で展開されています。またサウンド・エデュケーションの課題「サウンド・ウォーク(音の散歩)」としてコネクトでも展開しています。※現在は不定期活動です。


 以上4本が、2018年までのコネクト主事業です。この他にも各地のシンポジウムや学会に参加する機会もありました。来年度以降はここから活動を絞り込み、テーマをシンプルに深めていく方向で検討しています。
 この5年で実感したこと。地域に芸術活動を「ひらく」場合の最大のポイントは「すでにある地域の活動やアーティスト」を無視しないということ、そのためのリサーチが欠かせないということです。相模原市・町田市には芸術系大学が少なからずあるため大学のアウトリーチ活動に焦点を絞ってリサーチを進めましたが、個人やNPOの活動については「むしろここから」という感じです。素敵だなと感じる活動は沢山あるのですが「出会う」のは「縁」やタイミング、そしていちばんは直感が大事だと感じています。

 プロとアマのアーティストの境界線は、制度上もすごく曖昧であることも常に自覚しないとなりません。これはプロ側に立つと非常に厳しい現実です。5年間考えていますが正解が出ない。そもそもプロとアマの「境界線」はどこにあるのか、受け取る側に区別はあるか?芸術性の高いプログラムでも、その場に「望まれていなければ」成立しないのも事実です。他の地域で成功した事例でも「地域性」とのマッチングで上手くいかない場合もあります。そもそも「地域」に拘らない方がうまくいく場合もある。コネクトのワークショップには少ないながらも全国各地から参加して下さるので、途中からは無理に地域の枠に収めないようにしました。この「拠点ならでは」の適材適所のアプローチを見極めないとなりません。また楽しい場ばかりではなく、賛否両論も含めて、固定観念を揺さぶり「考える」機会を作るのもコネクトの役割のひとつだと考えています。
 芸術活動は「多様性」と地続きにあって、社会に余白や余裕がないと理解され辛い。「芸術」という言葉そのものが壁を作ってしまうことがありますし、拒絶されることももちろんあります。しかしその余白や余裕をつくるのが芸術だったりする。まさに卵とニワトリです。
 あとはアーティストの存在に焦点をあてた場合、現実的な問題として「芸術のみで経済的な自立を果たすこと」が本当に自身の芸術にとって必須条件なのかを問う時代に入ったのではないかと感じたということです。過去100年のプロの芸術家の定義に「経済性」があったとしたら、21世紀も18年が過ぎようとする今、「生産性」に縛られているのは芸術の側ではないか?20世紀後半の現代音楽の巨匠J・ケージは幼稚園バスの送迎をしていましたし、その事実が彼の音楽家としての評価を下げることはありません。むしろこの国特有の「その道一筋で食べてこそプロ」という呪縛からアーティスト自身も抜け出して、内側から生き方を見直していく。芸術が内側から柔らかく変わっていくことも社会の多様性につながっていくだろうと思っています。これは自戒を込めて。
 と、ここまで書いてふと思うのです。では「芸術とは何か」「何が芸術か?」と。「音のない音楽をきく」サウンドスケープの哲学が背景にあるコネクトとしては、もちろん「作品」や「演奏」というかたちある「表現」だけを芸術と呼んできた訳ではありません。高度な技術でつくられた作品や演奏でも「芸術」を感じないものがあるのはなぜでしょう。コネクトは「何を」芸術と呼んでいるのか?呼ぼうとしてきたのか。5年前に何を考えていたのかは実は目の前にあることと照らし合せた時にさほど重要とは思えず、むしろ「今」考えていることをお話ししたいと思います。次回③「考える」に(つづく)。  ←前の記事 ①「つなぐ」


「ひらく」活動はこれに留まりません。展覧会やワークショップの取材、コネクトの視点でセレクトした芸術教育に関わる情報のSNS発信等も行っています。また今年度は実験的に「レジデンス・アーティスト」も加わって頂きました。代表個人としてインタビュー、執筆等も承っています。

◎活動についてのお問合せは tegami.connect@gmail.com までお願いいたします。