CONNECTは何をコネクトしたか、しなかったか?①「つなぐ」

告知】CONNECTのオフィスはユニコムプラザさがみはら(相模原市立市民・大学交流センターシェアード1)という公共施設にあります。10月14日(日)にはセンター全体で「第6回まちづくりフェスタ」(10:00~15:00)が開催され、ここで約5年間のコネクト活動をパネル展示でご紹介する予定です。興味のある方はどうぞ足をお運びください!当日は代表ササマユウコも会場に待機します(レジデンス・アーティストの沼下桂子さんも顔を出します)。
【芸術と社会展示の準備も兼ねて、このところ「CONNECTは何をコネクトしたか、しなかったか?」をふり返り、そして考えています。

 「公共施設」を拠点にした「芸術活動」には何が求められていたのでしょうか。芸術を社会に「役立てる」ことでしょうか?そもそも「芸術」とは何か。役に立たないもの、無意味なものは芸術表現として認められないとしたら、この社会は幸せでしょうか。「想像する力」は人間に与えられた素晴らしい能力のひとつですが、「想定外」という想像力の限界はどうして生まれてしまうのでしょう。それは教育で解決できる問題でしょうか。CONNECT活動では「何を」芸術と呼んできたのか。そこに正解はあるだろうか?と、実は設立した時点からずっと「ひとり哲学カフェ状態」が続いていて、5年経った今も答えは出ていません。
 今回のコラムテーマは「つなぐ」ですが、「CONNECT」という名前の通り、当初はみるみる広がっていく世界を追いかけるように、点から線に「つなぐ」ことで精いっぱいでした。その先に何が生まれるのかは全くの未知数でしたし、「つなぐ」ことが最善ではないと今も想い悩むことがあります。この活動の動機は研究中のサウンドスケープ論を音楽の外の世界で実践してみることでした。それは「音楽とはなにか?」「芸術とは何か?」という哲学的問いと向き合うこと。そこに「この活動が何かの役に立つのか?」という疑問は不思議とありませんでした。しばしば見られるこの「問い」は、実は芸術の外側から投げかけられる場合がほとんどだと感じています。
 この活動が始まってから5年で社会は大きく変わりました。今も議論の最中にある「非生産性」という存在
や活動に対して、自分の正義を掲げて厳しい言葉を投げかける人も増えました。オフィス地元の相模原市ではそれを象徴するような「やまゆり園事件」も起きました。この事件は誰にとってもショックが大きく未だ言葉に出来ませんが、障害のある人たちだけでなく、アーティストを含む社会の少数派(マイノリティ)の存在を揺るがすあってはならないことでした。犯人は自分もいずれ年を取り、筋力も視力も聴力も衰えて、犠牲になった人たちと限りなく近づく肉体を生きていることなど考えもしなかったのでしょう。ここでも原発事故時と同様の「身体性と想像力の欠如」を感じます。
【言葉と向きあう】CONNECTは有機的に進む芸術活動ですが、「ミッション」を言葉にして共有するプロセスは非常に大事だと思っています。なぜならこの世界は「言葉と文字」で出来ているからです。音楽家個人としてはなかなか認め難い事実ですが、社会はまず「言葉ありき」なのです。「ささやかな芸術」の存在意義を、関心のないどころか「必要ない」とさえ思っている外側の世界に伝えなくてはならない。文字をたくさん書かなくてはならない。「社会の言葉」を持たなくてはならない。なかなか修行に近い作業ですが、公共の施設に入って活動をあえて言葉で縛ることが深みや自由度を上げることも実感しました。悪いことばかりではありません。
 しかし本当
は「外向きの言葉」からこぼれてしまうような、人の内側から生まれた言葉のひとつひとつを掬い上げるような作業に、この活動の本質があると思っています。5年目になって、あらたなテーマに「人と人」を加えた理由もそこにあります。この5年間をふりかえると、アーティストや研究者という肩書き以上に、「その人」の存在、内側への共感が無くては成り立たない活動ばかりだからです。

【人と人】ここからはもっと「人」の内側にフォーカスするという意味で、少しだけ筆者のお話しをさせてください。
 音楽家として25年間暮らした都会から、小学生の娘を含む家族と共に郊外に拠点を移したのは2011年の3月末でした。「想定外」という言葉が社会を覆い、史上最悪の原発事故で噴出した放射性物質から子どもを守るための緊迫した生活の中で、「音楽とは何か?」という大問題にぶつかりました。自分にとっては物心ついた頃からのアイデンティティでしたから、それは人生を全否定しかねない、ある意味で絶望的な問いでした
。その中でカナダの作曲家M.シェーファーが提唱したサウンドスケープという哲学を拠り所に世界との「関わり直し」を始めました。2011年9月にはシェーファーと共著のある弘前大学大学院今田匡彦研究室に所属しました。実は4月から原発事故を受けて九州に避難した方のポストを急遽埋めるために町田市の市民大学(生涯学習部)にも関わっていました。ここは社会教育としての歴史が古く、生涯学習というよりは「昭和の夜間大学」そのものだったことは驚きでした。文字通り生涯に渡って「知の探究」を続ける、勉強したくても時代が許さなかった戦中派たちの熱心な存在に励まされる思いで、自身も研究を続けました。
【次世代につなぐ】今考えている次期CONNECTのかたちは、今まで同様に「学術と芸術をつなぎ、硬直化した社会に柔らかな視点を投げかける」ための「小さな仕組み」の実現です。予算消化型のプロジェクトでかたちを整えるのではなく、「人と人の間=境界」にささやかな「音楽」を生み、そこから社会に広くシェアしていく自由度の高い活動を目指したい。特に「非言語コミュニケーション即興」「考えるを主軸にした場をつくっていきたいと思います。

 そこにはもちろん「言葉」が必要です。聾/聴という異文化をつなぐのも「手話」という言語でした。しかしだからこそ言葉に囚われすぎず、その余白にある「非言語」の情報を読み解く力が大切だと感じました。インターネットを始め、左脳的なロジック優先の社会の中で言葉の情報に受け身になりすぎると、自分の内なる音楽に気づく機会が奪われてしまいます。有機的な偶然性、直感やひらめき、「言葉にならない感覚」は人間が主体的に生きる「生きもの」であることの証です。
 「調和は衝突である」と言ったのは岡本太郎でしたが、その真意とは何でしょうか。筆者は
「個」の内側を外側とつなぎ音の風景を編むことだと理解しています。宇宙の音楽(ムジカ・ムンダーナ)のように響き合うサウンドスケープを「衝突」と言い換えてもよいのかもしれません。もちろん太郎の言うように芸術がいつも「爆発」していたら大変です。音もなく響き合う静かな芸術(音楽)もあるだろうと思っています。そこに耳をすます|ひらくこと。まず気づくこと。全身が耳になるような時間をつくっていけたらと思うのでした。  次回②では「ひらく」をご紹介します (つづく)。


ササマユウコ(音楽家/CONNECT代表)。
80年代後半、日本初の文化専門総合職として社会人スタートするも紆余曲折。ずっと音楽活動とのダブルワーク人生です。2000年代に洋の東西を越えたCD6作品を発表。2
011年の東日本大震災を機に演奏活動を一時休止し、境界領域的なサウンドスケープの哲学を
研究しています(弘前大学大学院今田匡彦研究室2011-2013)。町田市教育委員会生涯学習部を経て、2014年に「耳の哲学」実践拠点・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト設立。芸術家や研究者が専門領域を越えて一個人として集いその「境界」に何が生まれるのか、何が可能になるのかを芸術の内側から提示しています。地域や大学連携ワークショップも。現在進行中:協働実験プロジェクト『聾/聴の境界をきく』、即興カフェ(音と言葉の哲学的実験)など。サウンド・エデュケーションを下地にした独自のワークショップもあり。tegami.connect@gmial.com