「境界」を考える

●先週は秋葉原で、「境界」について思いを巡らせるふたつの場が提示されました。
 ひとつは「東京ろう映画祭」関連企画として、昨年の話題映画『LISTEN』共同監督・雫境こと神津裕幸さんの個展『紫窓~SHI・SOU』(@Art Lab AKIBA)。東京藝術大学で美術を学んだ神津氏は学生時代から「境界」をテーマに作品を制作し、今回は『LISTEN』からインスパイアされたビデオインスタレーションで「内と外」の’間’を提示しました。窓枠装置の両側から、揺れるレースのカーテン越しに移り変わる赤と青の風景が映し出されていきます。同じ映像のはずなのにふたつの世界の印象はまったく違う。どちらが内でどちらが外なのか。その相反するふたつの世界の「あいだ」に置かれた小さな窓枠の存在に気づく時、そこに作家からのメッセージを発見するのです。
 世界の仕組みはとても複雑ですが、関係性の本質はシンプルです。個展タイトルにある「紫窓」とは赤と青の二項対立として世界を捉えるのではなく、その’境界=間’に目を向けることを示唆しています。壁や線で分断するのではなく、境を流れる川のような境界の’幅’を意識すること。時にはその川に橋を架けて、相手の世界からこちら側を眺めてみること。赤だと思っていた風景が青に変わる瞬間。あらためて自分の世界は自分の窓枠から見える風景の一部にすぎないと思うのです。「あわい(間)」という言葉を思い出す。世界が重なり合うその曖昧な境界の部分に淡い紫色の水彩が滲みだす。分断されていると思い込んでいた世界の境界線が、実はグラデーションの帯であったと気づくのです。
 時おりJR高架の電車音が会場内を通り過ぎていく。作家自身には届かないその音が映像の「ゆらぎ」とシンクロするとき、視覚が聴覚と重なって、きこえない/きこえるの境界が消えていくように紫色の世界へとつながっていく。まさに、あわい(間)の橋を渡るような感覚に包まれるのでした。 ※関連サイト「東京ろう映画祭」→

●夜は東京アーツカウンシル(@アーツ千代田3331)で開催された東京迂回路研究JOURNAL③発行記念イベント「生き抜くための‘迂回路’をめぐって」の第2部に参加しました。今回のJOURNAL執筆者のひとりであること、2部のトークセッションにカプカプ所長・鈴木励慈さんが登壇されたことが、足を運んだ理由です。イベントの詳細については専用サイトをご覧頂ければと思います。ここでは、このプロジェクトについて少しご紹介します。

 「東京迂回路研究」は「NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所」が東京アーツカウンシル助成の共催事業として展開したプロジェクト。芸術、哲学系の若手研究者たちによって「社会における人々の「多様性」と「境界」の諸問題に対して調査・研究・対話を通じて’生き抜くための技法’としての「迂回路」を探求する」(抜粋)ことを目的に3年間にわたって展開されました。先の見えない今の時代を柔らかく真摯に生きるための「知恵」を探す旅のように進んでいく、とてもユニークなプロジェクトだったと思います。対話の場や研究会は医療・福祉・ケア・芸術(アート)・社会等を学際的につなぎ、しかし日常や街とも確かに地続きにあって、アカデミックすぎずニュートラルで民主的にひらかれた雰囲気にも包まれていました。研究者たちの専門である臨床哲学の対話や音楽療法の手法、芸術が場の根幹づくりに上手くいかされていたと思います。
 例えば今回のように福祉の関係者が登壇するトーク・セッションでも、いわゆる「福祉系」の勉強会とは趣が違い、主眼はあくまでも「迂回路=柔らかく生きること」にありました。社会のさまざまな「境界」が、参加者同士のざっくばらんな対話の中でいつの間にか淡くなる瞬間がたち現れ、それこそが「迂回路」の道しるべとなる。3年間のプロジェクトと併行してメンバー自身も変化しながら、研究調査がそれぞれの窓枠を広げていくような、それを参加者も共有するような旅だったと思います。
 研究と生活をつなげることは、芸術と生活をつなげるのと同種の困難さを抱えます。専門性を深めれば自分の生活が置き去りに、高みに着けば今度は「誰のためか」と自問する。まず生き抜かなくてはならないのは、他でもない自分自身の人生。研究や芸術を取り巻く環境が狭められていく中で、いかにして「迂回路」を見つけていくか。当事者としても生きている限り常に考えていかなければいけないテーマだと思うのでした。
 多様性や境界をしなやかに受け入れ、柔らかく生きる知恵としての「迂回路」探求。これからも人生に寄り添いながら、臨機応変にかたちを変えながら、さまざまな角度から新しい視点を投げかけてくれるだろうと期待しています。(ササマユウコ記)

●こちらは少し前になりますが、「東京ろう映画祭」の関連企画『音のない記憶~井上孝治展』(@渋谷アツコ・バルー)です。

 いわゆる「決定的瞬間」を一枚のフィルムに収めた昭和のスナップ写真を見るのは久しぶりでした。きこえない作家が全身全霊で切り取った「渾身の一枚」は、見る者の心に深く染み入ります。戦後の平和をかみしめるような、子どもたちの元気な姿やユーモラスな一瞬からは、昭和30年代の暮らしの音風景が聞こえてくるようでした。第二期『1959年沖縄の空の下で』も開催されますので詳細はこちらをご覧ください。