東京迂回路研究:もやもやフィールドワーク分析編第4回「〈表現〉するとはどういうことか~非言語コミュニケーションを通して考える、東京迂回路研究」に参加しました。(1/23)

東京迂回路研究とは・・社会における人々の「多様性」と「境界」に関する諸問題に対し、調査・研究・対話を通じて、‘生き抜くための技法’としての「迂回路」を探求するプロジェクト。特定非営利活動法人「多様性と境界に関する対話と表現の研究所」によって運営されています(配布資料より抜粋)。

この活動は、アートミーツケア学会ともつながり、昨秋の大分大会では筆者も彼らの「哲学カフェ」に参加しました。また現在、ダンサー新井英夫さんとのワークショップを実施している横浜の福祉作業所カプカプ所長・鈴木励慈さんも理事を務めています。若い3人のメンバーは、臨床哲学、音楽療法、アートマネジメントといったそれぞれの専門性を背景にしながら、「新しい社会、新しい暮らし、新しい創造性」の可能性を「迂回路」(もうひとつの道)の中に探しています。ひとつの「正解」に突き進もうとする世界に危機感を感じ、世界を「耳」から捉え直して多様性を与えたシェーファーのサウンドスケープ思想との共通性も感じていましたし、何より今この時代を生き抜こうとする静かで熱い意志にも共感を覚えました。
今回のもやもやフィールドワーク分析編第4回では、「コミュニケーションとは何か?音楽やアートはなぜ人間にとって重要なのか?」と、同じく生きることを真摯に問い続けている芸術社会学者の中村美亜さん(九州大学)をゲストに迎え、最新の社会学や認知学の研究成果を参加者全員で共有しながら、〈表現する〉とはどういうことかについて、実に3時間にわたっての対話の時間が生まれました。今回は特に、自分にとって当たり前に使っていた〈表現〉というコトバが、実は参加者それぞれの立場や背景によって微妙に解釈が違い、その内と外の「ズレ」が浮き彫りになっていく興味深い3時間だったとも言えます。例えばアートプロジェクトやワークショップの現場において何か問題が起きるとき、そこで使われているコトバの認識や解釈の「ズレ」が要因となることが多々あるはずです。〈表現〉について考えたい、という同じ目的をもって集った人たちの間でもこんなに違う、ということが何よりの発見でした。
また「現場」から生まれたコトバには実感が伴い、とても力強い印象を残します。もちろん内容の是非や賛否についてはまた別の問題ですが、とにかく「身体を通したコトバ」にはある種の生き抜く力、生命力がある。その「コトバの力」に飲み込まれずどう対峙し、関係性を築くか。時には身体表現、感情表現、自己表現、芸術表現、言語表現など、「〇○表現」と但し書きが必要な場合もある。そしてその〈表現〉には具体的な「目的」があるのか、ないのか。その一方で「表現しない」という表現は可能だろうか?などなど、時には自問自答の迷宮に入りながら、「使い慣れた」コトバに意識を向けることで立ち現れてくる「想定外」が面白いと思いました。ある人が口にした〈表現〉と私の〈表現〉は同じか、違うか。時には「もやもや」しながら、でもとりあえず「きく」ことを諦めない。オープンに、しかしお互いの「ズレ」はそのままに、まず誠実にその時間を共にする。すると「ズレ」はいつしか「場」の多様性となり、自分の内にあったコトバも解きほぐされて外にひらかれていくのを感じました。
SNS等で簡単に「つながる」ことは出来ても、自分の「声」で他者と対峙し、ひとつのテーマをじっくりと語り合う経験は、実はどんどん減っているのだと感じます。だからこそ若い世代によって「対話」の場がつくられる。何よりもまずその動向に「希望」を感じるのでした。(ササマユウコ記)