【考察レポート5-2】空耳をきく方法を考える。

その②「蓮の花のひらく音」をきく方法

【その①からの続き】

 2011年3月に社会を覆った科学者たちの「想定外」という言葉の衝撃。あのコトバが今の「日常と非日常」「内と外」をつなぐコネクト活動、その軸となるサウンドスケープ哲学の研究につながっている。人知を越える科学技術やエネルギーを扱うことに対する「畏れ」を、人はいつから抱かなくなってしまったのだろう。理性と好奇心の矛先が生命そのものから離れていくような、たった一握りの根拠のない万能感が全世界を支配していくような恐ろしさを感じたし、今もそれは拭えない。そしてこの「恐ろしさ」はどうしても「戦争」の危機感へとつながってしまう。別にペシミストではない。人が「想像すること」をやめた時、いとも簡単に社会の色が塗り替えられてしまうことは、歴史から知ることが出来るからだ。

 その歴史を「音の風景(サウンドスケープ)」から伝えたい時、筆者が毎年この時期にご紹介しているのが「蓮の音論争」である。これは第二次世界大戦前の朝日新聞紙上で、上野不忍池に咲く蓮の開花音をめぐる「有音派vs無音派」の科学者間でおきた’論争’のことである。結論から言えば「無音派」が簡単な実験結果を掲げて、2年越しとは言え3回の連載で呆気ないほど簡単に「無音」の決着をつけてしまう。特に2年目の紙面は前年に比べて扱いも小さく、隣の記事には防空演習で精神を病んだ外科医の一家心中事件、東京オリンピック(1940年外圧によって中止)招致のニュースが並ぶ。最初の論争から1年で社会の雰囲気が著しく「軍国主義」に傾倒していった様子が読み取れる。それまではこの国の誰もが当たり前に聞いていたはずの「蓮の音」が、戦争の足音によってかき消されてしまう。無音派の科学者が「昔の人の感情生活の中に描いた美しい夢」(牧野博士)と語り、「昔の夢の敗北」を宣言して時代の空気を強引に押し進めていくのである。もちろん牧野氏に罪はない。ただし氏の論調からは「科学の絶対」が「想定外」を許さない危険性を孕んでいることを否定できない。古代蓮で有名な大賀博士は戦後、戦争勝利を盲信した国民性への批判を込めて、その代替えとして蓮の「無音」を宣言するが、最後の実験ではまだ「今朝の実験では聞けなかったというだけで、また何時聞こえるか判りませんよ」と述べていることは興味深い。
「蓮の音」が消えた夏は昭和11年。その年の2月にはクーデター226事件が起き、東京には戒厳令が敷かれた。処刑された青年将校たちの名前がずらりと書かれた新聞紙面を見た時、まさにそれは「恐怖政治」の始まりだと感じた。小さく載った「人工地震」実験の記事、東京オリンピック、そしてその後の中止.....。この国が戦争に突入していくことを知っている「未来人」の私が戦前の記事を読みながら、80年前の過去と今が一本の線でつながっていることを実感した。そして2011年の今この瞬間も、いつか未来の誰かに「恐ろしい時代」だったと読まれるのだろうかと想像して怖くなった。因みにこの時は、まだ2020年の東京オリンピックは決定していなかった。その後、まさかの招致が決まった時に私がまず思い出したのは1964年ではなく、この1940年の幻となった東京オリンピックだった。そして新聞記事はいよいよ戦争に突入していく。国が焦土と化し、原爆が二度も投下されるその先の悲劇など、この記事が書かれた時点では誰も知らないのだ。時間は先送りも後戻りもできないのである。

 2011年春から初夏にかけての国会図書館周辺・永田町界隈のサウンドスケープは、原発事故を受けて集まった多くの人たちの怒号が渦巻いていた。まさに原発がメルトダウンを起こすか、大量の放射能が東京にも降り注ぐかの瀬戸際で、危機感を抱えて国に抗議する人たちと機動隊の厳戒態勢はまるで戦時下のようだった。国会図書館の窓の外の音風景をきいていると否応にも時代がリンクして、自分が時空を超えてしまったような奇妙さと、背筋が凍るような思いがした。しかし同じ東京在住でも、当時の国会周辺の様子を知る人は決して多くは無かったと思う。なぜなら津波と原発の被害が「東北の問題」に集約され、東京の様子は一切報道されなかったからだ。そうしたメディアの姿勢は今も続いている。

 実は前回ご紹介した『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー、今田匡彦著)には、まさに現実に無い音をきく練習「花のひらく音をきく」という課題がある。社会を覆っていた「想定外」という言葉に絶望しかけていた時、本棚から取り出した本からあらためてこの課題を見つけ、芸術の世界には「花のひらく音」をきく自由が残されていることに心底救われた思いがした。ここには「希望」があると思えたのだ。2011年、私が弘前大学今田匡彦研究室に向かった理由はまさにそこにある。

この経緯については、筆者ブログ「音のまにまに」の以下の記事をご覧ください。
 

①弁天様 (2015.7.7)

②蓮の花の音をきこう。

昭和10年7月、8月、昭和11年の全3回の'論争’
昭和10年7月、8月、昭和11年の全3回の'論争’

□「きこえる/きこえない」を越えて

 とにかく驚くのは、この論争を境に日本人の生活に根付いていたはずの「蓮の音」がいとも簡単に消えてしまったことである。お互いに探りを入れて生活するような軍国主義の時代の空気の中で、人々が風流を楽しむ「耳」を「隠してしまった」とも言えるだろう。そしてこの「耳」は戦争が終わった後も「科学」の名のもとに以前のように生活の中に戻されることはなかった。80年経った今も隠され、忘れられたままである。ちなみに戦時中、上野不忍の池は食糧難に備えて埋め立てられ水田にされたという。再び不忍池に蓮が植えられたのは、意外に遅く終戦から10年が過ぎた昭和30年代だった。

 そして21世紀に入った今も「無音説」を裏づけているのは、蓮の権威・大賀博士の戦後の見解にあると言ってよいだろう。前述の通り、戦前は「中立派」だった氏が自宅の鉢で実験を繰り返し、戦後には強い口調で「無音である」と断言した。しかしそれは戦争の勝利(神風という迷信)を盲信した日本人の「幽音を信じる性質」に反省を促すことが目的だった。博士は科学者として意見を述べたのであり、決して蓮の音をきく芸術や風流までも否定したのではないことは強調しておきたい。確かに、大賀博士が言及する通り「空耳」には「悪い空耳」があることを、私たちは自覚しなければならない。自分にとって都合の良いことだけを「きく」耳を育ててはならないことは肝に銘じたい。
 けれども
筆者は、ここであえて’科学的な’仮説を立てて反論したいと思う。『音さがしの本』にあるように、蓮の音をきく「耳」を取り戻したいと思うのだ。博士の実験は自宅の鉢を使用した数十種に限るもので、蓮の種類は2000種に及ぶという事実、また大自然に生息する野生種の生命力や環境との因果関係、蓮の咲く場所のサウンドスケープについても考慮すると「想定外」の世界がぐっと広がらないだろうか。実際、上野の実験の時は周囲を市電が走り、雨が降り、ラジオがきこえていたという証言がある。静かな状態での実験では無かったのである。今でも足を運ぶとわかるが、隣の動物園の鳴き声も予想以上に賑やかだ。その環境の中で本当に蓮の音はきこえるだろうか。しかも不忍池は大正時代から周辺工場による環境(土壌)汚染も指摘されていた。そもそも実験場所として相応しかったのだろうか。科学を否定するつもりはもちろん無いが、「生きものの世界」を本当に限られたサンプルから「断定する」ことは、実のところ人間には不可能ではないだろうか?と感じてしまうのだ。「マイノリティ」が存在する可能性を視野に入れたい。「想定外をなぜ想定しないのだろう?」というシンプルな疑問が残る。

 加えてこの「論争」の問題点は科学vs芸術(風流)の二項対立を生み、「昔の夢の敗北」と書かれた点にもある。本来は科学的根拠を必要としない領域にも、当たり前にそれが求められ、想像や空想が科学よりも下位に置かれてしまった。確かに20世紀は科学全盛の時代だった。正確に言えば21世紀の2011年3月11日までは、である。あの日までは科学への信頼があった。しかし悲劇的な大事故は起きてしまう。残念なのは5年経った今も科学の「内側」にある思考回路には大きな変化が無いのではと感じることだ。人口知能(AI)やロボット、遺伝子操作や軍事産業に邁進する人たちに「想定外」は存在するのか、しないのか。なぜ再び断層の上にある原発が動き出すのか、私にはさっぱりわからない。一度走り出したシステムが簡単に止まれないことは、5年前に誰もが生命の危機の中、身を持って体験したことだ。あれは「想定外だった」と簡単に片づけてしまえるはずもない。そして「科学的思考」こそが「想定外」の領域を生むことを、「科学の外側」にいる私たちはどう捉えたらよいのだろう。芸術と科学の二項対立をつなぐ脱構築の視点を築く必要はないだろうか。そのために「哲学」が存在するのではないだろうか。しかし今は残念ながら「実学」ではない学問の立場がどんどん脅かされている。非常に息苦しい時代に入ってしまったと感じる。「蓮の音」が消されてしまった時代の空気と同じなのだ。
 例えば「蓮の音をきいた」と証言する人をどう捉えるべきか。否定せずに受けとめる「余白」は科学にはあるだろうか。本来、曖昧な存在である人間には「絶対」も「正解」も存在しないはずである。それは、この地球で生命を宿した植物も同じことだろう。さまざまな条件が違えば、結果も違ってくる。環境にも左右される。内と外はいつでも表裏一体であり、世界の関係性は主体の「立ち位置」によっても変わるのだ。優劣や正誤ではない、もっと広い価値観で俯瞰した世界は常に「想定外」と隣り合わせである。蓮も人の耳も、本来は個々すべてが違うのである。

 終戦から71年目の今日、未だ科学の下に隠されたままの「耳」を思い出し、ふたたび「蓮の花のひらく音」をきいてみたいと思う。それが「表現の自由」であり「平和」である。人々が「想像すること」をやめた時、社会の空気は簡単に変わってしまう。実はジョン・レノンの『IMAGINE』もまたサウンドスケープ哲学と一本の線でつながっているのだが、そのことについてはまた機会をあらためてご紹介したいと思う。

 

「森羅万象に耳をひらけ!」とシェーファーは言った。人が「空耳をきく方法」を思い出した時、ふたたび花のひらく音がきこえてくる。

(2016.8.15)71回目の終戦記念日に寄せて ササマユウコ記

追記□「蓮の音をきいた」という報告レポート (2016年7月11日)

 ここでぜひ、つい最近頂いた「蓮の音の証言」をご紹介したいと思う。何度も念を押して恐縮だが、筆者はこの記事を通して「音の有無」の論争をしたいわけではない。なぜなら、古の人たちが耳にしていた蓮の音の咲く「自然環境」は、すでに現代からは消えてしまったからだ。静寂のサウンドスケープ、生命力にあふれた生育環境、そして何より人工音ではなく自然音に囲まれて暮らした人たちの研ぎ澄まされた「耳」が存在しない。では何を伝えたいか?それは「蓮の音がきこえるかもしれない」という「可能性」である。それが「空耳をきく力」、つまりは想像力=芸術のはじまりだと思うからだ。

 

・・・以下、ご本人の許可を得て転載・・・

 

【蓮の花が開く音を聴いたという男性の話し】

・取材日時: 2016年6月30日(木) 朝9時過ぎ

・場所: 岐阜県各務原市、市の管理する住宅街の蓮池のほとり

・話者:男性(60~70代? リタイヤされて悠々自適なご様子!?)

・天候:はれ

・状況:話者の男性が、蓮池のほとりで写真を熱心に撮っていたので「蓮の花が咲く時に音がするらしいが、実際聞いたことがありますか?」と直接新井がインタビューした。

「蓮の花が咲く時に実際に音がする。ポンという音ではなく、パチッというような擦れるような音。音は小さいが確かに自分自身が実際に聞いた。聞こえるのは、晴れた日のみ、しかも明け方日の出の頃。「あれ(蓮池のつぼみを指して)、なんか明日の朝、咲きそうだねぇ、明日朝に来て聞いてみるといいよ」という3分くらいのやりとりでした。

・私に同行していたのは、松岡恭子さん、板坂記代子さん。男性は松岡さんの知り合いではないが、顔に見覚えがあり、たぶん近所にお住まいの方だろうとのこと。必要であれば松岡さんを介して連絡をとることもできそうです。

以上です。 新井英夫 拝

(前ページ)考察レポート5-① 空耳をきく方法を考える「コネクト活動の考察から」