【考察レポート3】 ’コネクト’という芸術活動~1年目の考察

早いもので「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」という長い名前の’活動’を、「ユニコムプラザさがみはら 相模原市立市民・大学交流センター内シェアードオフィス1」と、同様に長い名前を持つ施設に立ち上げてから1年が過ぎた。活動準備そのものは2014年の6月から始まったので、正確には1年と3か月の活動期間になる。もっと言えば2011年3月末に、長年暮らした都心から地元の都市郊外に「Uターン」してからのカルチャーショックとも言える時間そのものが、コネクトにつながっている。

今回は「考察」も含め、コネクト代表のササマユウコによる、極めて個人的な‘想い’についても触れながら、「前進あるのみ」だった1年の活動を少し立ち止まってふり返り、できれば発展的な考察の場にしたいと思う。各事業の詳細については「コネクト通信」やワークショップ専用サイトで取り上げているので、それぞれの’反省’はまた別の機会ということでご容赦頂ければと。

〇そもそも’コネクト’って何?

立ち上げ当初は「何がしたいのかよくわからない」という感想を頂くことが多かったように思う(今も「?」の方はいると思う)。コネクトは目的遂行型の団体組織ではなく、有機的で柔らかな関係性を目指す「芸術活動」そのものの名前である。
しかしそのような「得体の知れない状態」では他者と「つながる」こともままならないので、まずは「主旨説明」として「芸術教育デザイン室」という枕詞をつけた。「デザイン」というコトバを使ったのは、筆者の研究テーマ「サウンドスケープ思想」を提唱したカナダの作曲家M.シェーファーが「自発的に生きる」教育としての「内側からの(サウンドスケープ)デザイン」を主張していることに倣った。また「教育」というコトバには、コネクトの活動が「未来」に種を蒔くような社会性や公共性(ソト)を意識していることの’意思表示’も潜んでいる。しかしそれは「芸術そのものの教育」ではなく、「芸術的な教育(学び)のありかた」を考える場にしたい。

しかしこの枕詞は、しかるべき場所での自己紹介のたびに舌を噛みそうになるので、いずれ時期を見計らって取ってしまおうと考えている。今までの経緯から「企画ごとに内容やメンバーは変わるが、その「関わり方」には一貫性があり、「コネクト」というコトバそのものに活動主旨を集約できる」見通しが出て来たこともある。また枕詞に縛られすぎて活動の硬直化を防ぐ目的もある。
どちらにしてもコネクトには「内側(研究者/芸術家)」と「外側(地域社会)」それぞれに向けた視点や活動がある。さらにその「ウチ」と「ソト」を柔らかにつないだ「関係性」そのものを’芸術’と捉え直し、そこまでのすべてを「芸術活動」と考えている。

具体的な「内側の活動」としては、まず代表(筆者)が研究者や芸術家と実際に出会い(ネット上ではなく)、お互いの’分野=境界線’を越える「こころみ」を提案する。その’越境’から生まれた関係性(芸術)をさらに他のアーティストにつなぐこともあれば、そのまま社会(ソト)につないでみることもある。

この手法には昨今注目しているリレーショナル・アート(関係性の芸術)やアール・ブリュット、そしてコミュニティ音楽を視野に入れているが、もう少し広い視点で捉えれば「音楽的に世界をデザインする(サウンドスケープ)」芸術活動である。なぜ音楽的にかと言えば、筆者がたまたま音楽家だからである。だから時には不協和音やノイズも生まれてしまう。しかしそれも含めて’調和’とは何かを考える場や時間が生まれ、内外ともに関わった人たちすべてに何かしらの「気づき」が生まれるような機会になればと思う。

〇「想定外」というコトバから

なぜこのような「芸術活動」を始めようと思ったか。その理由は2011年に社会を駆け抜けた「想定外」というコトバに他ならない。あの言葉を聞いた時の衝撃が忘れられないからである。もっと言えば、あの言葉を平然と使うことが許される科学や社会に心底びっくりしてしまったのである。

人間に唯一、他の動物よりも優れているところがあるとすれば(それも最近は怪しいと思っているが)、それは想像力(イメージする力)が備わっていることではないだろうか。身体の内側から宇宙の外側まで、実体の有無に関わらず想像力を無限大に広げることができる、それこそが「人間が人間たる証」と考えていた。世界中に残された神話しかり、20世紀ではオノ・ヨーコの『グレープフルーツ・ブック』に始まるJ・レノン「IMAGINE」のメッセージしかり。人は常に神や自然に畏怖の念を抱き、地球と共生してきたという歴史があった。しかし、いつからか人間のアタマの中には「想定内」と「想定外」という境界線が引かれてしまった。それはもともとひとつだった「科学」と「芸術」がいつの間にか学問の中で分かれ、生活の「実学」からも乖離してしまったことが大きいだろう。なおかつ「芸術」は「解釈」によって「科学」になろうとしたのが20世紀だったし、その風潮は今もなお一部のアカデミズムでは根強い。または芸術が積極的に社会から「逃避」しようとした時期もあった。それはいかにも「芸術的」であるが結果として芸術の内と外を分断した。産業革命以降の、特に20世紀近代化の皺寄せが、この21世紀に文字通り津波のごとく押し寄せている。20世紀というたった100年間で、人間はどこに向かって舵を切ってしまったのだろう。生命に危機をもたらすような重大事故を起こしても、当事者さえもが「実感として」捉えることが出来ない生き物に成り下がってしまったかのようだ。

そもそも「想定外」の世界を教えるのが、芸術的教育の役割ではなかったか。専門的かつ個人的な話で恐縮だが、大学で教育学(哲学、視聴覚教育)を専攻した筆者個人の猛反省もあって、2011年秋から2013年まで弘前大学大学院今田匡彦研究室に社会人研究生として籍を置かせて頂き、以前から筆者の音楽の軸でもあった『世界の調律』の筆者M.シェーファーの「サウンドスケープ思想」をワークショップ(サウンド・エデュケーション)の視点から捉え直した。今田氏は筆者と同年代で、日本で唯一シェーファーとの共著『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』を出版した音楽教育の哲学者で、その研究には常に注目していた。また同時に東京郊外の自治体社会教育に携わりながら、自身を音楽の内側から社会にひらいていった。思えばコネクト活動は、すでにこの時から始まっていたとも言える。「音楽バカ」を自称して音楽の内側に閉じていた筆者にとって、まさに「心の針が振り切れた」としか言いようのない大転換である。

だからコネクトの活動は、公共性や社会を見据えながらも、2011年から4年にわたる研究を「実践する場」として、実は申し訳ないくらい個人的な「危機感」から立ち上げた芸術活動だ。しかしその活動の主旨はあくまで「世界の内と外をコネクト」することであり、俯瞰的な視点を保つために代表の「表現活動」は除外している。

〇境界線を越える面白さ、難しさ。

とにかく、あっという間だった 1年をふり返ると、現時点での「コネクト」はまさに立ち上げ当初からは「想定外」の状態にある。ネットワークは予想外の方向に広がりを見せ、そこに生まれた関係性や芸術もまた様々な方向へと育っている最中である。
しかしその一方で「活動のコトバ化=共有化」の必要性も感じ始めている。筆者自身はオンガクという非言語コミュニケーションを最も「楽」とするのだが、こうして時おり立ち止まり、ふり返っては文章に残し、広くコトバで伝えることの意義も感じ始めている。

普段は出会わないような異分野の専門家をつないだ時、意外と「コトバが通じない」ことがある。科学者、行政関係者、福祉関係者など、誰にとってもわかりやすい「コトバ」を探すことは思った以上に難しい。会議室で音を出したり踊ったりできれば話が早いのだが、そうもいかないところから「社会」は始まる。「芸術」と口にしただけで眉間に皺を寄せる人、私の名前がカタカナ表記であることを解せないという人もいる(これは’姓’を大切にする地方出身者が多く住む都市郊外の特徴なのか、長年の都会暮らしでは一度も指摘されなかった興味深い反応である)。
芸術家同志でも、演劇人たちの言語コミュニケーション能力の高さはやはり別格である。非言語チームは普段使わない言語能を駆使するので、時にはヘトヘトになる。しかしそれは、自分たちの世界の方法論や言葉づかいに閉じこもりすぎていないかを「内側」の中でも検証していく貴重な機会ともなっている。

そして矛盾しているようだが、その「コトバ」を使って「非言語コミュニケーション」や「想定外の世界」への道筋がつくれたらと思う。

〇2年目の「コネクト」について

最近は枕詞のさらにその前に「都市郊外の暮らしと芸術」というキャッチコピーを付けている。感覚としては鶴見俊輔氏の『限界芸術』そのままである。その上で、コネクトの定義としてアートは「生きるための技」、芸術は「関係性」と捉え直すことは変わらない。この1年、都市郊外には多くの芸術家や研究者が関わっていることを知った。有名無名、プロアマ問わず、人知れず興味深い活動をされている方も多い。また一見「取り立てて特徴がない」と思える都市郊外の「まち」そのものにも、想像を越える非日常が潜んでいることを知った。

その非日常を掬い上げ、日常にそっと流し込むような活動に意味を感じ始めている。

 

しかし、おそらく1年目に広がったネットワークのいくつかは収束に向かい、一方でいくつかは「深まる」時期に入るだろうと思っている。外側よりも内向きの活動が多くなるかもしれない。しかしこれも現時点(2015年10月)での「想定」でしかなく、1年後はまったく別の展開を見せている可能性もあるし、それでいいと思っている。いやむしろ、そうであって欲しいと思う。

自身の表現活動とは別次元の「音楽」について、もっといえば「オト」そのものに立ち返るようなプロジェクトも並行して進めていく予定である。そこでの気づきを、コネクトにもつなげていけたらいいなと、密かに「野心」も抱いている。

 

はたして、分野を越えて「つながる」ことは素敵だろうか?1年目ではまだ、正直よくわからない。なぜこんなにも面倒な「コネクトする」ことに拘るのかと、自問自答することもある。しかし何らかの「意味ある」活動であることは間違いないだろう。2011年3月11日のあの瞬間、おそらく多くの人が本当に「気づいてしまった」ことを、筆者は絶対に忘れたくないと思っている。「気づいた」という経験を、というべきか。本気で世界に、自分自身に問いかけながら、しっかりと「内側から」関わりながら生きていきたいのである。ここまでくるともう「本能」と呼べる部分かもしれない。

コネクトの活動の中では、「あの時、どこで何をしていた?何を感じた?」という問いかけをよくする。たぶん必ず、どこかでする。そこから始まる「対話」からシンパシーが生まれた時に初めて、コネクトの’芸術’’が生まれる。いま現在ご協力頂いている皆さんにはそこに「共感」があった。ここだけは嘘がないし、信じられるし、そこからしか始まらないとも思う。この「活動の始まり方」は絶対に変わらない部分である。


1年目の振り返りのはずが、最後はなんだか’決意表明’になってしまった。

 

そして2年目に・・つづく。

     

                         2015年10月15日 ササマユウコ