考察レポート7(第1期最終回)
「コネクトとは何か~サウンドスケープの視点から」

 第1期(2014年6月~2017年5月)3年間の「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」の活動が終了し、引き続き6月1日から第2期に入ります。どうぞよろしくお願いいたします。
 今後の活動内容は、この3年間の活動を基盤に1年ごとに強化する部分を見直していきます。SNSのアカウント名も、より’自分事’に引き寄せた情報を発信していくために「暮らしと芸術 Connect/コネクト」に変更させて頂きます(団体正式名はそのままです)。といっても、「芸術教育デザイン室」も「暮らしと芸術」も、しかるべきところへの内容説明を目的とした枕詞のようなもので、本質的な3つの活動目的①つなぐ(芸術家と研究者)②ひらく(ワークショップ、情報発信)③考える(哲学カフェ、学会発表等)は変わりません。ただし、第1期がネットワークを可能な限り広げる段階だったとすれば、第2期は精査し深める段階だと自覚しています。

 あらためて「つなぐ、つながる」とは何か。この先に何が生まれ、何があるのか。今回は初心に立ち返りこのテーマについて考えてみたいと思います。実は3年前に活動を立ち上げた時、「コネクト」という言葉には左図のような「元素図」的なビジュアルをイメージしていました。しかし人間社会はもっと複雑な要素(思想、所属、文化、言語、感情、コミュニティ等)が絡み合っていて、化学式のようにクリアなものではありません。ネットワークは一本の線で平面的につながれるのではなく、時間軸も越えながら有機的かつ立体的に編まれていくものです。だからこそ想定外の結果やかたちが生まれ、そこが厄介でもあり面白くもある。しかし時には「元素図」のように思い切って関係性をシンプルすることが功を奏することもあり、「つなぐ、つながる」はつくづく「正解」のない世界だと感じています。
 コネクトが「つなぐ」のか「つながる」のか。当初は地域の大学で活躍する知人の芸術家や研究者たちを中心に、ネットワークを横に「つなぐ」中間支援的な役割を目指しました。しかしそこでは常に「コネクトの目的」を説明し(当然のことですが)、まずはこちらから「つながる」必要性が生じました。結果を予測せずに立ち上げた「場」から、aotenjoや路上観察学会分科会のように自発的なネットワークが生まれるケースもありました。単に職能や専門をマッチングするだけでは決してうまくいかない。特に芸術分野では「何を」大切にするのか、説明のできない「フィーリング」や非言語コミュニケーションの部分こそが本当に大切だと思いました。同じ目的を持っていても、分野や世代が違えばコミュニケーションの方法(言葉)が違うという場も多々ありました。
 しかしこの3年間の活動は相模原に留まらず、思いがけず全国各地、国外にもネットワークを広げました。それは代表(筆者)自身にとっても、守られていた領域(音楽)から外に出て、ゼロから関係性を構築する「世界との関わり直し」の作業でしたし、そこには前述のように価値観や言葉の違いから思わぬ摩擦やストレスが生まれてしまうこともありました。その中で「ズレ」を解決していく「考え方」として、内と外を柔らかにつなぐ’サウンドスケープ論’に立ち返ることがしばしばありました。これは決して専門的な概念ではなく、簡単にいえば「音の風景」のように世界を捉えてみるということです。鳥が鳴き、風がそよぎ、赤ん坊が泣き、電車が通り過ぎ、時にはジェット機が轟音を立てていく・・まずは「正解」を定めずに、世界のすべてに耳をすまし/耳をひらく。混沌の中にある「美」を探してみるのです。しかしここには「落とし穴」もある。美を追求するあまり排他的な感情が生まれ、「調和=かたちを整える」ことを優先し関係性が固定化し、場の’純度’は上がっても何とも息苦しい場を生んでしまう。これは本当に難しいテーマですが、コネクトを無色透明化しつつ、そこに生まれた関係性にオリジナリティを宿すこと。これは次期活動の最大のテーマだと思っています。

 サウンドスケープ論は、カナダの’作曲家’マリー・シェーファーが提唱したことで、どうしても西洋クラシック音楽の和声や平均律的な世界観が想起されたり、人工的な音を嫌う自然回帰を謳ったのだと’誤解’が生まれがちです。もちろんそういう一面もありますが、しかしそれは多面体の世界観を一方向から見たにすぎない。この根底には西洋音楽の根源的な概念「宇宙の音楽(ムジカ・ムンダーナ)」や「調和(ハルモニア)」に立ち返りながら、J.Cageの「4’33”」の系譜にある東洋思想(禅やヨガ哲学)の影響も大きく受けています(筆者はこれを「耳の哲学」と名付けています)。

 シェーファーがこの考えを提唱した20世紀後半(第二次世界大戦後の60年代以降)は、米ソ冷戦構造が緊張感を増し、世界が「核の脅威」にさらされた時代でした。また経済優先による森林や環境破壊が世界中で進み、騒音公害も問題となり始めていました。
  そしてこの状況を危惧して誕生したのがサウンドスケープ論でした。「耳(音)」から世界を捉え直すという発想は、目には見えない人間以外の生きものの存在や周辺環境に耳をひらく/目を向けるエコロジカルな「音響生態学(サウンド・エコロジー)」という学際的な領域にも結びついていきます。しかし70年代は時期尚早であり、シェーファーの論は世界のアカデミズムでは嘲笑されてしまいます。

 「鳴り響く森羅万象に耳を開け!」と訴えたシェーファーの中には「正解」とする音風景があったのでしょうか。ちなみに、サウンドスケープ論を学ぶためのテキスト「サウンド・エデュケーション」には特に正解は設けられず、活用方法は読者に委ねられました。つまり世界の音風景は音楽と同様に多様であることは作曲家であるシェーファーも解っていた。ではこの論で最も訴えたかったことは何か。それは「内側からのサウンドスケープ・デザイン」という自発的に世界と関わる「生きる姿勢」であり、世界に「耳をすます/耳をひらく」、すなわち「聴く」ことの大切さだったと思います。自分好みに世界の音風景を操作するという一方的な関係性でないことは、サウンドスケープ論が記された『世界の調律』(平凡社)の最終章が「沈黙」で終わっていることからも明らかです。

 音楽教育においても、音を出すことよりもまず内と外を「聴く」ことから学ぶことを説いています。演奏や作曲能力を伸ばす音楽の専門教育とは違う、誰もが豊かに生きるためのコミュニケーションとして、音楽教育を社会に「ひらく」ことの重要性にいち早く気づいた音楽家だと言えるでしょう。

 コネクトを設立してからの僅か3年間で、日本の社会、世界が大きく変化していることは一目瞭然です。設立当初(2014年)はまだ東日本大震災の記憶も生々しく、横につながり助け合う芸術活動も数多く見受けられましたが、東京オリンピックの文化政策が始まると、縦のネットワークが強化されていきます。地域の障害者施設では痛ましい事件が起き、世界の主要都市ではテロが頻発しています。「正解」を求める人々の「分断」が加速しているような気がします。

 しかしそれはただ’気がする’だけなのかもしれません。「思い込み」という目に見えない落とし穴に社会全体がふたたび落ちてしまわないように、今この時代にある芸術の意味を慎重に見極める。言葉に閉じ込めすぎることなく、活動を通して見えたさまざまな「境界」を、まず「ある」こととして認め、そこから身体感覚をもって「越える/越えない」を選択する必要があると考えます。「つなぐ・つながるとは何か」という問いを、常にコネクト自身にも向けていきたいと思っています。「境界」があるから理解や共感が得られないのではなく、「境界を引いた上で理解し共感することも可能である」と仮説を立てて、実践考察していく予定です。

 「暮らし=生き方」と考え、「暮らしと芸術 Connect/コネクト」と変更した名称は、鶴見俊輔氏が提唱した「限界芸術」をコネクト流に読み替えたものです。サウンドスケープを提唱したシェーファーも、80代となる現在はコミュニティ・ミュージックに携わっていることも興味深いです。

「言語/非言語」感覚を鍛え、機を焦らず相手を信頼し、つながる時を待つというプロセスも大事にしたいと思います。他者に理解してもらうために、こちらの考えや情報を地道に発信し続けること。社会の中に丸ごと取り込まれるのではなく、芸術の領域から社会と関わる「距離感」を模索します。公共や社会と芸術の「関係性・距離感」に注目した「コネクトの視点」で掬い上げた情報を、SNS(Facebook)やこのサイト等で発信します。


 最後に繰り返しになりますが、芸術の内と外を見つめ、やわらかな思考を手に入れること。「つなぐ・ひらく・考える」を3本柱に、今の時代の芸術とは何か?を、今まで以上に自分事に引き寄せて考えていきたいと思います。次世代に伝えるべきことは出来る限り言葉にします。時には流れに逆らわず、またはあえて流れには乗らず、「縁」という偶然性も大切にしながら、音風景が無理なく編まれていくような「暮らしと芸術 Connect/コネクト」を目指します。

 最終的には筆者個人の活動とリンクして、コネクト活動は終了するのかもしれません。しかし現時点での「落としどころ」は定めていません。今後とも「何だかよくわからないな」と思いながらも、コネクトの活動に注目して頂ければ幸いです。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 

2017年6月1日  Connect/コネクト 代表:ササマユウコ

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