【考察レポート1】 「日常のつづきにある非日常」~関西編

9月7日奈良文化会館国際ホールにて
9月7日奈良文化会館国際ホールにて

【はじめに】

 奈良・たんぽぽの家の保護者グループ(たんぽぽの会)が39年前にスタートさせた「わたぼうし音楽祭」の詳細については、ぜひサイトや『生命の樹のある家~進化するNPO 深化するNPO』(播磨靖夫編 財団法人たんぽぽの家 2003)をご参照いただければと思います。

元明倫小学校を再利用した芸術センター
元明倫小学校を再利用した芸術センター

同じく、京都芸術センターの設立経緯についても『芸術創造拠点と自治体文化政策~京都芸術センターの試み(文化とまちづくり叢書)』(松本茂章著 水曜社 2005)が詳しいので、こちらの本をご紹介します。サイトも併せてご覧ください。

 

【考察目的】

 今回は、奈良の福祉施設、そして京都の芸術センターという設立目的の違う二つの施設が広く芸術(アート)を軸に「内と外をつなぐ場」として機能していること、その仕組みや地域性に注目して取材しました。奈良の「たんぽぽの家」については、春にもアートセンターHANAを取材していますので、こちらもご参照ください。

 

【それぞれの「内(ウチ)」と「外(ソト)」】

 まず、「たんぽぽの家」のウチとソトについて考えてみたいと思います。物理的に施設の内と外はもちろんですが、「福祉施設」という特徴から障害の「ある」「なし」が存在することは確かです。ただしその境界線が非常に曖昧なのが、この施設の特徴です。そもそも施設が外にひらかれている。外と地続きであるエントランスのギャラリーから工房へ、二階の事務所やトイレ、倉庫までが心地良いひとつの世界としてつながっている。そこを障害の「ある」「ない」人たちが自由に行き来しています。

 どちらが「外」でどちらが「内」か。それは考察する人の立ち位置で違ってきます。障害が「ある=内」「ない=外」と考えれば、私は(たぶん)後者になりますから、たんぽぽの家にとっては「外」の人間です。しかし今の社会では、障害が「ある」というだけで社会の「外」に置かれる状況も多く、たんぽぽの家を自分とは無関係の「外」の施設と受け止めている人もいることでしょう。一方、たんぽぽの家で働くスタッフは障害の「ない」人たちの集合体ですが、彼らは障害の「内」に存在しながら外とつながっている人たちです。時おり施設にやってくるアーティストも、彼らの活動内容を社会にひらくことで障害の内と外をつなぐ役割も担っています。また「たんぽぽの家」から生まれる質の高い「(アート)製品」を支える地場産業も施設の「外」のシステムですが、奈良という地域性で括られた「たんぽぽの家の製品の内」の存在です。

 今回訪れた「わたぼうし音楽祭」はこの施設から生まれ40年以上つづく音楽祭です。施設の「外」の全国の障害者に広く呼びかけ、彼らから集められた詩と障害の「外」にいる音楽家がつながっていきます。音楽を媒体として、障害の「外」と「外」を、障害の「内」からつなげる先駆け的イベントです。発足当初は社会運動の色合いも濃かったと思いますが、現在のコンサートのパンフレットには、多くの協賛企業や行政機関も名前を連ねています。施設の「内」から始まった音楽祭が、社会を巻き込んで「内と外をつなぐ」ムーブメントに発展した先駆け的な事例です。

 もうひとつの2000年に設立された京都芸術センターは、大正時代に建てられた元小学校を再利用したアートセンターです。地域(町内会)の寄付で作る「番組小学校」という京都の特殊な仕組みが、今も地域コミュニティの要として機能しています。もともと明倫小学校は関東大震災(大正12年)を反映した「震災復興小学校」で、その建築には現代でも通用する様々な工夫がみてとれます。階段ではなく子どもたちが逃げやすいスロープが使用されていたり、当時の「防災建築」にも驚かされます。また祇園祭の際には地域コミュニティ・スペースとしても機能した大広間や講堂も素晴らしく、それはアートセンターとなった現在も同様の機能を果たしながら「外」にひらかれています。
「地域の学校」という意識はセンター運営の仕組みにも残されています。事務局と大勢の(芸術の外にいる)卒業生を中心とした登録ボランティアによって、国内外の先鋭的な芸術家の活動が支えられているのです。地域の内(日常)と芸術という外(非日常)がここでも自然につながっている。校舎に囲まれた運動場は今も町内会で使用されていますし、構造的に「中心」となるこの場で自治会の運動会や盆踊りが、時には滞在中のアーティストも巻き込みながら開催されています。まさに芸術の内と外が交差する場所なのです。施設の入り口にあるカフェ(前田珈琲)には、昼時には国内外の観光客はもちろん、近所のおばちゃんグループや会社員の姿も見られ賑わっています。ボランティアには毎回カフェでも使える500円分のチケットが配布される嬉しい仕組みもある。芸術を内に閉じこめない施設なのです。

  
 たんぽぽの家(アートセンターHANA)は施設そのものは街中にはありませんが、ガラス張りの開放的なギャラリーから始まる外に開かれた空間でした。アトリエは事前に連絡を入れれば見学可能でオープンな雰囲気があります。京都芸術センターは、その活動軸が福祉ではなく「芸術家の支援」なので、具体的な内容が見えにくい性質もあるかもしれませんが、施設そのものは常に外にひらかれているのです。このふたつの施設の特徴は言うまでもなく「芸術・アート」が媒体となり、さまざまな「内」と「外」を自然につないでいることです。「アートの社会的な役割」というプラクティカルな雰囲気というよりは、楽しそう、面白そうな「場」を生むことで、アートには人をゆるやかに、時に強くつなぐチカラ(仕組み)があることを体感できる場です。大義名分や美談を打ち上げるのではなく、どちらも肩の力が抜けている感じがする。
 初めて京都芸術センターを訪れたときに開催されていた現代美術の展示(「1000年後の小学校」芝川敏之)を監視していたのは、おそらく明倫小学校の卒業生である普通のおばちゃんたちでした。監視員がピリピリと目を光らせている美術館と違って、気軽に作品解説もしてくれます。夜の京都でふと訪れた日常と非日常が混ざり合った不思議な時間や、そこで体感したアートには非常に新鮮な感動がありました。

 奈良や京都には1000年を越える芸術文化の歴史と、その中で育まれた風土や人が存在し、わずか半世紀(50年)の歴史しかない東京郊外の新興住宅地では溜息の出るような話も多々耳にします。しかし諦める前に、先達者から学ぶことは本当に沢山あると感じています。まずは「1000年後の都市郊外」を想像してみる。その「未来図」はどのようなものでしょうか。まずは100年先まで存在する建物が周囲にはどれくらいあるでしょうか。東京の都市や郊外は1000年後に存在しているのでしょうか。絶望ではなく希望を抱いて暮らせる仕組みとはどのようなものでしょうか。
 京都芸術センター開設を検討する行政審議会の議事録に目を通すと、そこには「100年後に理解されるよう10年かけて考えてはどうか」という内容が当たり前に語られているのです。その「時間感覚」にはこれからの社会を考える大きなヒントがあると思います。

 いま自分が暮らしている町の、まずは100年後を想像してみましょう。そしてさらに1000年後の、この町の姿を「希望をもって」思い描いてみましょう。この町に1000年後も存在しているものは何でしょうか。どの「内」と「外」をつなぐと面白いコトが起きるでしょうか。日常と非日常をつなぐ媒体としてのアートの可能性を、今いちど考えてみようと思う時間でした。2014.9 (ササマユウコ記)