●コネクト通信 2016バックナンバー

2018年

1月

04日

2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

2018年はコネクト活動の第一期(5年目)の年となります。区切りの年は、これまで多くの「つなぐ|つながる」ことから生まれた様々な「境界」に光を当てながら、この活動をふり返り、ひろつ伝える言葉も編んでいきたいと思います。また昨年から引き続き、協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性」(助成:アートミーツケア学会青空委員会)につきましては、3月までを準備期間としてメンバー間でやりとりを続けています。第2回リサーチ活動の募集開始につきましては、2月16日(金)を予定しております。どうぞよろしくお願いいたします。

また3月28日には「第5回空耳図書館のはるやすみ」(子どもゆめ基金助成事業・読書活動)では、劇団青年団の山内健司さんの『舌切り雀』を迎えた「ちょっと不思議なおしゃべりカフェ」をお届けします!どうぞよろしくお願いいたします。

2017年

12月

19日

アートミーツケア学会@京都に参加しました。

 12月14日~16日の三日間、京都芸術センター、京都市立芸術大学で開催されたアートミーツケア学会にコネクト代表のササマユウコが参加しました。現在この学会が運営する青空委員会からは、協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性」に助成を頂いています。

 また学会当日の詳細につきましては学会サイトやFBの記事をご参照ください。今後、報告レポートが掲載されると思います。

 ※写真は基調体操『集団のアホーダンス』にて、大きな舞台装置をみんなで協力して動かすという体験をしています。

2017年

12月

07日

シネマ哲学カフェ+『LISTEN リッスン』上映会@上智大学グローバル・コンサーン研究所

 去る11月24日に上智大学グローバル・コンサーン研究所主催のシネマ哲学カフェ~『LISTENリッスン』上映会+哲学カフェが開催されました(進行役・上智大学哲学科教員・寺田俊郎先生)。CONNECT/コネクトは作品と大学の橋渡し、企画発案~実施までを協力させて頂きました。

 当日は、現在進行中の協働プロジェクト『聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性』メンバー(雫境さん、米内山陽子さん)と『LISTEN リッスン』共同監督の牧原依里さんが参加し、米内山さんは全体と対話の手話通訳を、監督お二人は最後の質疑応答に登壇しました。

 会場には学生を始め大学内外から約50名が参加し、入り口で配布された上映中の「耳栓」の使い方や目的が雫境共同監督から説明されたあと、作品鑑賞、その後は筆談・手話・発話の3種4グループに分かれての「哲学カフェ」が実施されました。

 文字、手、声。それぞれのコミュニケーション手段が生む対話の「雰囲気」の違いがとても興味深かったです。「手話」のグループは劇作家でCODA(Children of Deaf Adults)の米内山陽子さんの手話通訳で進められました(写真)。手話を使える聴者の方も多く、主に聾の方に向けての通訳となりました。彼女の手話通訳では情報伝達のみならず、言葉の「間」も含めた「言葉にならないこと」も絶妙なニュアンスで伝えられるのですが、これが対話の場での「非言語コミュニケーション」の役割にも気づかされる機会となりました。もし彼女がロボット翻訳のようにただ「情報」だけを機械的に伝えていたとしたら、そこに哲学的な対話が生まれたかは未知数です。

 「筆談」による対話グループの進行役は寺田先生が務められました。通常の「ソフィア哲学カフェ」の進行に加え、10年以上も街中で「哲学カフェ」を実施されている寺田先生にとっても、「筆談」による哲学カフェは初めての試みとなりました。この日の筆談グループの参加者は全員「聴者」でしたが、言葉(思考)をすぐに声にして伝えるのではなく、いちど自分の中で文字化して対峙する「時間差」があったこと、同時に全員の意見を見比べることが出来ることなどが、「新鮮な体験だった」と参加者から感想があがっていました。

 一方「発話」(通常スタイル)のグループでは、サウンドスケープの視点から対話にとって「声」がどのような影響を与えるのかにも注目して観察してみました。自分が他者に対してどのような「声」を放ち、どのような「話し方」をしているのかを音楽的に俯瞰してみる。「声」や「話し方」が対話の質感や内容そのものにどのような影響を及ぼすのか?輪の外側から「声の風景」を観察していると、先ほどの非言語コミュニケーションと同じように「音声」が対話にとって無視できない要素であることがみえて(きこえて)きます。

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2017年

11月

27日

協働プロジェクト『聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性』第1回境界リサーチ「コトバ|音|カラダ」を実施しました。

 11月19日に協働プロジェクト『聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性』の第1回境界リサーチ活動「コトバ|音|カラダ」を実施しました(メンバー:雫境、ササマユウコ、米内山陽子 会場:アーツ千代田3331 助成:アートミーツケア学会青空委員会)。

 初リサーチということで、どのような方が集まるかはメンバーも未知数でしたが、手話勉強中の方をはじめ、聾・聴を問わず身体表現や音楽、舞台芸術に関わっている方が中心となりました。聴者に用意した「耳栓」は遮音目的というよりは意識を「内側」に向けるための補助具として、使用は自由としました。実際アンケートでも、耳の中の違和感を理由に使用しなかった方も数名いらっしゃいました。

趣旨説明の後の導入部では、まず聾の文化や世界各国に存在する「サインネーム」について発話と手話で紹介し、ふたつのグループに分かれて実際に自分のサインネームを他者に「付けてもらう」体験からスタートしました。すでにサインネームをお持ちの聾の方にも、あらためてネームを考えてもらいました。コミュニケーションは手話、筆談が中心となりました。

 自分の名前をカラダで表現する体験はダンス等の様々なワークショップで存在しますが、「サインネーム」は他者に自分の外見やキャラクターの特徴を読み解いてもらい、覚えやすい名前を「つけてもらうこと」に意義があります。最後のふり返りでも、みんなに自分のネームを考えてもらえたことが「ちょっと嬉しかった」というご意見がありました。

 ひとりひとりのサインネームを全員で共有した後は、そのネームを使った身体ゲームや遊びを通して、音声言語や手話を使わない場に徐々に慣れながら、舞踏家・雫境による「非言語の身体ワークショップ」に入っていきました。

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2017年

10月

26日

シネマ哲学カフェ『LISTEN リッスン』上映会を開催します。

今年度の文化庁メディア芸術祭にも選出され、コネクトでもご紹介している聾者の音楽映画『LISTEN』。この上映会と哲学カフェをひとつにした「シネマ哲学カフェ」が上智大学で開催されます。音のないオンガクに耳を傾けながら、「音楽とは何か?」「聴くとは?」「芸術とは?」と対話をしてみることで、世界が少しだけ変わるかもしれません。聾者の方、一般の方もご参加頂けます。(手話通訳・筆談あり)

日時:2017年11月24日(金)18:00~20:10

場所:上智大学中央図書館9階921(L-921)
お話:牧原依里、雫境 (『LISTEN』共同監督、手話通訳あり)

進行:寺田俊郎(哲学科教員、グローバルコンサーン研究所所員)

対象:一般、本学学生、教職員 ※要事前申し込み/参加費無料/先着50名

お問合せ・お申込み:グローバル・コンサーン研究所 電話03.3238.3023 
                          http://dept.sophia.ac.jp/is/igc/

 

 

お申込み:①氏名②連絡先③手話通訳/筆談希望④所属を記載の上、

こちらのメールアドレス、cinemacafe2017listen@gmail.comまで。

 

主催:上智大学グローバル・コンサーン研究所

共催:聾の鳥プロダクション

 

協力:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト(相模原市立市民・大学交流センター内オフィス1)

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2017年

10月

16日

第5回ユニコムプラザまちづくりフェスタに「泥沼コミュニティ活動報告」展示で参加しました。

 

「泥沼コミュニティがはしもとでしてきたこと」報告展示会

開催日時:2017年10月15日(日)10時~15時
展示:泥沼コミュニティ
企画:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

 

主催:ユニコムプラザさがみはら

●Facebookに専用ページがありますので、詳細はこちらをご覧ください。

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2017年

10月

12日

【満席です】第1回境界リサーチ活動の参加者を募集します(「聾/聴の境界をきく」)10.20募集開始

●Facebookにイベント・ページが出来ました。http://www.facebook.com/deaf.coda.hearing  (@deaf.coda.hearing)

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2017年

9月

26日

「境界を考える~週末の感想から」

 昨日は地域のコミュニティでささやかに素敵に開催されている「ニチヨウツキイチ」に立ち寄りながら、映画『LISTEN』で出会った聾のアーティスト諸星春那さんの個展『DEAF HOOD+~そう遠くはない未来~in the near future』(@アートラボアキバ10/1まで)と、10年つづくコミュニティミュージック「うたの住む家プロジェクト」のコンサート『わたしの詩(うた)と歌(うた)」(@両国門天ホール 主催:即興からめーる団 助成:アーツカウンシル東京)にお邪魔しました。
 両者のイベントに関連性はないのですが、近くの会場で同時期に開催され、そこを自身が行き来する中で根底がつながったように思いました。それは何かと考えた時、頭に浮かんだキーワードは「コトバ」「時間」「境界」です。特に「境界」は現在進行中の協働プロジェクト『聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性」について思いを巡らせているところなので、とても興味深いテーマです。サウンドスケープを提唱したカナダの作曲家M.シェーファー自身の音楽活動も、最終的には(ご尊命です)地域のコミュニティ・ミュージックに向かいます。世界を「音の風景」と捉え直した時、それは整然と平均律的に整えられた大きな音楽(シンフォニー)ではなく、非楽音も含んだ小さな音楽(コミュニティ)が混在する複合体であることが見えてきます。そこでの「境界」は何かと考えた時、「国境」のように人為的に一本の線を引いて「分断」するものではなく、塗り絵のインクが「枠」をはみ出して滲んでいくように、コミュニティ周辺には常に混ざり合った場所が存在すると考えます。そしてその場所をコネクトでは「境界」と呼ぼうと思います。
 昨日のふたつのイベントはまさにその「滲み」を内包した場だと思いました。諸星さんの会場にはスライド映写機の音がサウンドアートのように「時」を刻みながら、
彼女の世界と「対話(筆談、手話)」することが可能です。「聞こえる鑑賞者は隔てられたままになっている懸念があっても、(DEAF HOOD)をタイトルにしたのは当事者しかできないことを大切にしたかったからかもしれない」と作家自身がパンフにも書かれているように、「きこえる|きこえない」の境界を解りやすく越えようとするのではなく、「聾の世界」から滲み出てくるものを繊細に感じて掬い取るような、同時に聾者にとっては共感できるような作品が生まれていました。
 一方の「うたの住む家」は、長年積み重ねられたメンバー間の信頼関係を「内側」に閉じることなく、「公演脚本」に演劇人の柏木陽さんを迎入れることで「コトバ」を媒体に場を客席に「ひらこう」とする意思が感じられました。主催の即興からめーる団(赤羽美希、正木恵子)がもつ確かな音楽スキルで場を下支えしつつ、会場全体を包むふたりの’自然体’やユーモアが軸となって、ステージ上のコミュニティを越えて外側に届けられる「オンガクとコトバの素敵な出会い=歌」を純粋に楽しむことができました。特に今回は「音楽と演劇の境界」に生まれたステージだったと思います。
 多様性のある「境界」ではさまざまな「アート」が日々生まれています。それをどうやって「かたち」にして、内側に閉ざすことなく外側に「滲ませる」か。そこでは専門家(アーティスト)の持つ「芸術(アート)」が媒体として力を持つことはもちろんのこと、音の風景を編むように築かれた境界の関係性に生まれる「質感」こそが大切だと考えます。「暮らす=生きる」ことの延長線上にあるふたつの芸術からの雑感でした。

(9.25ササマユウコ)

2017年

9月

01日

協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」特設ページを開設しました(9/1)

〇イベント情報等を告知していきます。どうぞご注目ください(画像をクリック
 
助成:アートミーツケア学会青空委員会

2017年

8月

18日

「ダイアログ・イン・サイレンス」に参加しました。

先日「ダイアログ・イン・サイレンス」に参加しました。2012年に参加した「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の「暗闇」では「見えない人の世界」を疑似体験しましたが、サイレンスは「きこえない人の世界」を入り口に、日常のコミュニケーション方法や異文化交流など、目的や得られる’気づき’にもう少し幅があるプログラムだったと思います(※詳細は専用サイトをご参照ください)。
 アテンドは生まれつき耳がきこえない方ですが、最初は手話を使わずに非言語(顔の表情やボディランゲージ)でコミュニケーションを取ります。「音のない世界=言葉のない世界」ではありませんから、アテンドも参加者も言語(手話/音声)を使用しないという条件は同じです。つまり、ここで共有する「音のない世界」は「きこえる/きこえない」の’境界’にある世界です。そこでは、きこえない人の「表現力」や「伝える力」の豊かさが際立ち、参加者は彼女に導かれながら「音のない世界」を巡ります。
 例えば聴者である私が暗闇で体験したような「世界の反転」は、「音のある/なし」よりは、手話でおしゃべりする聾者の輪の中に、手話を知らずひとり参加することで得られます(経験上)。繰り返しになりますが「音のない世界で言葉の壁を越えること」と「きこえない人たちの世界を知ること」は少し違います。ただし彼等が持っているノンバーバル・コミュニケーションの力、ボディランゲージや表現力から学ぶことはとても大きい。個人的には「きこえる/きこえない」という「人の境界線」が「音のない世界」を共にすることで薄らぐプロセスこそが大切な体験なのだと思いました。
 興味深かったのは「言葉の壁を越える場」の案内板が文字(日本語/英語)で書かれていることでした。「非言語」という概念はやはり「言語」があるから生まれる。音声言語を使わなくても、ジェスチャーやサインを脳内で日本語変換して意味を解釈している自分を意識しました。プログラムも、手遊び(ジェスチャー)から手話(言語)につなぎながら「非言語⇒言語」のプロセスを辿ります。「言語の誕生」を考える場としても興味深いと思いました。多文化・多言語社会ではまた違った体験になるはずです。

 先日、アートミーツケア学会青空委員会の公募プロジェクトに採択された「聾/聴の境界をきく」の準備もあって、あらためて「非言語コミュニケーション」について日々考えています。今回のプログラムのように音声(オノマトペや声質等)の情報が無い世界では、実はかえって非言語情報(ジェスチャーや表情)を言語(意味)に結び付けて考えようとする力が働くことが、聴者としての自身の内側の面白い発見でした。また聴者が聾者の世界を理解するプログラムと考えた場合は、聴者側から「音をなくす」ことが重要な要素なのかどうか、実は今の段階ではよくわかりません。「みえない世界の体験」には確かに「闇」が圧倒的に有効な手段でしたが、「きこえない世界」はもう少し複雑だとも思いました。なぜならそれは生きている限り、ケージが無響室で発見したように私たちの体内にはきこえる/きこえない関係なく「音」が必ず存在しているからです。音は「耳」だけが「きく」ものではなく全身で感じることもできますし、今回もヘッドセットを装着した時に最初に聞こえてきたのはやはり自分の心臓の音や呼吸の音でした。ただし周辺の環境音から自身を切り離し内側へと集中すること、この場にいる全員が同じ条件下であるという公平感を持つことには有効でした。そこからさらに「音のない世界」の奥にある「聾者の世界」を知るためには、聴者側に「音のない言葉をきく」という次段階の意識が必要になると思いました(このプログラムでも、最後にそのことが少しだけ示唆されます)。

 では’本当に’言葉を排した「言葉のない対話/ノンバーバル・ダイアログ」とは何か。それは先日ご紹介した動画のように、音楽や身体表現(ダンスや舞踏)の世界では当たり前に「ある」ことは確かなのです。だからこそ、「きこえる/きこえない」を越えた「芸術の対話」を探ることにも意味があるだろうと、あらためてプロジェクトの役割も認識する体験となりました。しかし「非言語」について「言語」で説明することが本当に可能かどうか、それが最も適した方法かどうかは未知数です。(8.16 ササマユウコ)

※「ダイアログ・イン・サイレンス」は20日まで。予約は完売です。キャンセル待ちは当日の会場にて。

2017年

7月

10日

「きこえる/きこえない」が共にある舞台『残夏1945』を観て。

「きこえる/きこえない」の境界を越えて制作された舞台『残夏1945』を観ました。2015年の終戦70周年祈念に東京・広島・長崎で上演され、多くの要望に応えて内容をバージョンアップし再演された作品です。

 この舞台の見どころは、史実である聴こえない世界から描かれた戦争の悲惨さや、わかりあえない母娘の再生物語にあります。それと同時に舞台の成り立ち同様に、聾者と聴者、きこえる/きこえないという「境界を行き来する人たち」のつながり方にもあると思いました。
 この舞台に出演しながらプロデューサーも担う、主催のサインアートプロジェクト・アジアン代表・大橋ひろえさんは聾者の舞台俳優です。野﨑美子さんは30年近く前から聾学校の演劇にも携わる聴者の演出家、脚本の米内山陽子さんは聾者を両親に持つ聴者の劇作家です。舞台上にも聾/聴の俳優たちがいて、手話や文字、時には全身を使ってやりとりする姿や、思わず出てしまう「本音」のような台詞からは、この舞台が彼等の日常と地続きに生まれたというリアリティ、説得力がありました。音のある/なしの世界を行き来し、人と人が葛藤や衝突を乗り越えながら「わかり合う」ことを諦めないこと。時間を遡りつつ、聴こえる母、聴こえない娘の関係性が修復されていくプロセスに、聾/聴の関係なく殺される原爆・戦争の恐ろしさや、連なる生命の尊さが重なっていきます。その中で「境界を越える/越えない」を選択しながら助け合う人々。そこに生まれた確かな信頼関係こそが生きることの「希望」へとつながっていくのです。
 米内山陽子らしいユーモアの効いた台詞の応酬や、ストレートプレイとパフォーマンスの境界にある美しいシーン、舞踏と芝居の境界を行き来する雫境の存在感も印象的でした。どこか無国籍な雰囲気の衣装や生演奏、時代性を排したミニマルな美術からも普遍性が生まれていました。
 今回は開演ブザーの代わりに照明で合図があったり、スクリーンを使った文字案内、また上演前の舞台説明や音声ガイド、託児サービス等、最近注目されている公共施設の「アクセシビリティ(利用しやすさ、親しみやすさ)」を意識したバリアフリー公演であったことも記しておきたいと思います。障害に限らず、高齢化や多様性社会において、誰もが舞台や音楽を生涯において楽しめる仕組みづくりは、公共劇場の最優先課題となることでしょう。今この時代の’新しい舞台作品’とは何か。そこから社会を変えるきっかけも生まれたら素敵です。(ササマユウコ記)

 

〇参照 サインアート・プロジェクト アジアン ホームページ⇒

2017年

6月

15日

協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」スタート

協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」がスタートしました。

「きこえる・きこえない」の間(あわい)を見つめながら、言語/非言語対話の可能性を身体を通して考察していきたいと思っています。初回の言録映像がFaceBookにあがっていますので、ご興味のある方はリンクからご覧ください。

 

●関連動画「言葉のない対話 inprovisation」雫境/ササマユウコ/
                      記録:米内山陽子

  ※こちらからご覧いただけます⇒

 

〇プロジェクト・メンバー

身体/motion/聾  雫境(舞踏家・美術家/神津裕幸)
音/sound/聴  ササマユウコ(音楽家・Connect代表)

言葉/words/手話通訳 米内山陽子(劇作家)

 

※こちらは2017年度アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクトに採択されました。(8月7日)

2017年

6月

02日

第2期の活動に入りました

【お知らせ】本日2017年6月1日、「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」は、情報の幅を広げるためSNSアカウント名を「暮らしと芸術 Connect/コネクト」と改めて第2期(4年目)の活動に入ります。この時代の芸術と社会の「距離感」を見極めながら、より自分事に引き寄せて活動を展開していきたいと思います。白紙状態だったにも関わらず第1期立ち上げ当初に数々のご協力を頂きました芸術家、研究者、関係者の皆さまには心よりお礼をお申し上げますと共に、今後も緩やかな距離感でお付き合いくださいましたら幸いです。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 

Connect/コネクト代表 ササマユウコ

 

◎考察レポート7「コネクトとは何か〜サウンドスケープの視点から」更新しました。

 

2017年

5月

30日

ソフィア哲学カフェ(テーマ:人権)@上智大学グローバル・コンサーン・研究所に参加しました

 昨年5月からちょうど1年になりますが、上智大学グローバル・コンサーン研究所で開催された哲学カフェ(テーマ:人権)に参加しました。同大学の哲学科長・寺田俊郎先生をサポート役に、哲学科の学生をはじめ、カフェ・フィロ等に通う外部の大人たちも含めた総勢20名余りの参加となりました。

 もともとは西洋から’輸入’され、この国では人それぞれに思い描くイメージや概念もどこか曖昧なままとも言える「人権」という’言葉’について、とにかく率直に考えや意見を出し合ってみる。法学や社会学の視点ではなく、あくまで「哲学」に軸足を置くことが、社会的立場や世代、国境も越えた普遍的な対話を可能にしていると思いました。また他者の考えを知ることで、自身の思い込みに気づき、視点が修正されていくこともあります。しかしそれはあくまで「自発的」に行われることで、誰かによって強制的に誘導されるものであってはなりません。
 何より日ごろ何となく使っている、目にしている’言葉’を「ひらく」場を持つことの重要性を感じました。そこに正解は無いのですが、大切なのは正誤の判断ではなく’問い続ける’こと。それは「生きる」ことに積極的に向き合う姿勢を生み出していくと感じます。ほぼ初対面の人たちが自由に、忌憚なく、安心して意見交換ができる場の必要性もあらためて実感します。「哲学的」であることが許されることで、はじめて自由になる言葉もあると思いました。決して考えることをあきらめず、他者の言葉に耳を傾け、真摯に自分の内側と向き合う時間。今の社会にこそ、こういう場がもっと必要だと感じています。

・哲学カフェは、哲学的な専門知識を必要としない誰もが参加可能の社会にひらかれた場です。ただ理想としては、サポーター役に哲学者をひとり置くことで、そこから「哲学とは何か」という学びの扉もひらかれていきます。難しい概念を駆使した言葉の操作ではなく、自分自身の人生をより豊かに、やわらかに生き抜くための力として。最近では徐々に小~高等学校の授業でも取り入れ始めていますが、自分の言葉で話し/考える「哲学カフェ」がもっと身近な場となるように、第二期のコネクトでもさらに力を入れていきたいと思っています。

◎哲学カフェの3つのルール
①人の話しをよく聴くこと⇒哲学的思考を養う

②自分の言葉で話すこと。(哲学者の考え等を引用する時は、他者にわかるように説明すること)。
③自分の考えは変わることがあるということを受け入れること。

2017年

5月

01日

2017年6月より、コネクトは第2期に入ります。

◆このたび相模原市立市民・大学交流センター内シェアード・オフィスにある「芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト」は、この5月で第1期3年間の活動を終え、6月より第2期の活動に入ることが4月末日付で正式に承認されました。関係者の皆さま、また主催企画にご協力&ご参加頂いた皆様には心よりお礼申し上げます。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

◆この活動はカナダの作曲家・M.シェーファーが40年前に提唱した「内側からのサウンドスケープ・デザイン」の手法を使って①芸術家と研究者をつなぎ②社会にひらくことで③「都市郊外の暮らしと芸術」を見つめ発信することを、第1期のミッションとしてスタートしました。活動後半に入ると代表個人の芸術活動ともリンクし、ネットワークは思いがけず国内外のアーティストに広がって、そこから第二期につながるテーマも見えてきました。◆第2期の活動は「つなぐ・ひらく・考える」をテーマに、第1期の活動を精査し深めながら、「生きる芸術」を主軸に考えていきます。日常と非日常、多様性や即興性が調和する芸術に焦点を当て、コネクトが発信することで情報に付加価値が生まれるような独自の視点や信頼性を強化します。そしてその背景には常にサウンドスケープの「耳の哲学」があることがコネクト最大の特徴です。

◆これに伴いまして、5月と6月はサイトの一部リニューアルも予定しています。Facebookは変らず更新していきますので、日々の情報はこちらをチェック頂けましたら幸いです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。※活動に関するお問合せはメールにてお気軽に。

 

【代表から】
コネクトではこれからも、日常ではどこか敬遠されがちな「芸術」という言葉をあえて使いながら、自身の専門である「音楽」の内側に閉じることなく活動していく予定です。2011年の東日本大震災を機に「音のない音楽」を奏で始めて6年が経ちますが、一方で社会は不穏な音を徐々に大きくしながら、決して良い方向に進んでいるとは思えない状況です。経済活動からも、効率や生産性からもほど遠い「芸術」とは何か。それは日々の暮らしの地続きに、いつもとは少し違う角度から「生きる」を問うことかもしれないと思い始めています。内と外をつなぎ、その間(あわひ)に生まれる現象を、柔らかな心で受け止めること。正解を求めないこと。ユーモアや遊びを忘れないこと。決して立派なことではなく、生命が生き生きと輝くような瞬間や豊かな関係性のことではないかと。何よりも「縁」を大切にしながら、生きることそのものとして活動を進めていければ幸いです。
 
2017年5月1日コネクト/CONNECT代表 ササマユウコ

2017年

4月

14日

「東京ろう映画祭」に参加して。

 世界から音を消した時に、豊かな音風景がきこえてくる。「東京ろう映画祭」大盛況でした!貴重なフランスのドキュメンタリー『音のない世界で』『新・音のない世界で』を観ることが出来て本当によかった。関連企画の井上考治写真展、神津裕幸(DAKEI)個展には「間 あわい」の芸術への新しい発見がありました。きこえること、音を出すことの「当たり前」を疑ってみる。異文化の交差点、言語と身体、社会や教育の問題、世界の調和とは何かを考える映画祭でした。

 そしてゼロから映画祭を立ち上げた実行委員中心メンバー(牧原依里さん、諸星春那さん)に脱帽です。何を隠そう第1回東京国際映画祭で悪戦苦闘した経験があるので、映画祭舞台裏の苦労は計り知れません。これだけのプログラムを実施するにあたり、準備は相当の仕事量だったと思うのですが、、そんな苦労は微塵も見せず、晴れやかなフィナーレでした。若いって素晴らしい!

【追記】今回特に興味深かったのは、最終日の二本のドキュメンタリーから、フランスの「手話」を取り巻く社会事情と差別の歴史、そこから現在に続く「時の流れ」があぶり出されたことでした。昨今は人工内耳の手術が増加し、教育現場もかつての「口話法」に戻る動きがあるという。手話と口語の’バイリンガル教育’の対象となる子どもは、フランス国内で16000人いるのに対して約150人しか受けられていません。どうして社会や聾者自身が「手話」を遠ざけるのか。その原因は複雑だと思いますが、この1年『LISTEN』チームとの出会いを通して理解したのは、手話は「言語」であるということです(牧原監督によれば『LISTEN』では、最近の若い聾者が苦手とする「非言語の手話」のニュアンスも描かれているということです)。
 つまり手話を使う聾者は(フランスに限らず)、その国の主要な音声言語とは文化圏が微妙に違う、彼らオリジナルの文化を持つということです。そのことを多様性=豊かさと感じられる社会かどうか。それは他の社会的マイノリティの問題、異文化理解と同質の難しさや複雑さを抱えていると思いました。例えば、社会との関係だけでなく、親か子の一方が聾者の場合、親子間の言語や文化が違うことで相互理解が難しくなる。関係性の構築に「障害」が生まれるのです。特殊な例かもしれませんが、聾の親が「我が子も聾だったら・・・」とつぶやく場面が印象的でした。これは耳がきこえないことそのものが問題ではないということです(実際に映画には「自分は障害を感じたことが無い、周囲がそう決めたことだ」という生まれながらの聾者も登場します)。ただ中途障害者はまた事情が違うと思いますし、だからこそ複雑さがある。
 日本は超高齢化社会を迎えています。聴者であった80歳近い私の母も、今は補聴器なしでは会話が成立しません。耳だけではなく、五感や身体機能は加齢とともに変化するのが自然です。だから私も例外ではありません。誰もが暮らしやすい社会の姿を想像したとき、「障害」の軸足がどこにあるのか、その言葉ははたして「適切」なのか。そこから考えてみる必要があると思いました。

 そして少なくとも芸術の世界では、心身のハンディを抱えた本人がそのことを「不自由」としていない限りは、そこを例えば「障害があるのに凄い」というような視点で語ることこそが傲慢だし差別ではないかと感じるのです。作品や表現の「内側の声」、その普遍性に耳をすますことで分かり合うことは出来ないか。それはすべての人たちに共通する課題です。もちろん異論のある方はいらっしゃるでしょう。しかしコネクトでは「芸術の下では誰もが平等である」という理念から、今後も多様性のある芸術活動、人間の可能性を紹介していこうと思うのでした。(ササマユウコ記)

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2017年

4月

04日

新年度のご挨拶

 準備期間も含めると2014年6月からスタートした’コネクト活動’の第1期も残り2カ月となりました。ふり返ればあっという間の3年間でしたが、本当に様々な出会いに恵まれ、何よりもまず私自身が学びの多い3年間となりました。また同時に「つなげること」から生まれる摩擦や葛藤、思考や方法論、つまりは「言葉」の違いにも気づき、「想い」が絡み合い一筋縄ではいかない芸術特有の難しさも感じました。

 主な活動としては設立当初の目的である①芸術家と研究者(大学)のネットワーク構築②情報発信③場づくりを3本柱に、相模原市、町田市を中心とした「都市郊外の暮らしと芸術」のリサーチ活動を展開してきましたが、1年も経たないうちに活動は国内外や世代を越えた広がりもみせました。せっかくの広がりを目的内に押しとどめることなく、流れに身を任せてみようという柔らかさも忘れないようにしました。

 キーワードである「コネクト(つなぐ、つながる、つなげる)」には、領域や専門を越えた人と人、人と場が出会うことから生まれる「間」を求めました。活動にはカナダの作曲家M.シェーファーが提唱したサウンドスケープ論を「内と外の関係性の哲学」と捉え直し、応用していきました。シェーファーの著書『世界の調律~サウンドスケープとは何か』(平凡社)の中には、サウンドスケープ論が「社会福祉」にもひらかれるだろうと示唆されていたことを実践してみようと思ったからです。簡単に言えば、人と人の出会いや場づくりを「音の風景」をデザインするように編んでいくのです。ですから、コネクトの活動そのものは、やはり「音楽活動」であるという意識がありました。この「音を出さない3年間の音楽活動」をふり返りながら、現在第二期に向けた「課題と展望」を言葉に変えている最中です。

 第一期の後半からキャッチフレーズを抽象的に「つなぐ、ひらく、考える」としました。もちろんそこには設立当初の目的も含まれるのですが、活動は「まちづくり」や「ワークショップ企画」’そのもの’ではなく、あくまでもその活動から見えてくる事象を考察する(考える)方に軸足があると感じたからです。ですから要なのはやはり「言葉」です。その言葉からも音風景を編んでいくのです。
 特に最近は、若い芸術家の活動に「世代交代」を強く意識する場面が増えました。同時に言葉にして下の世代に伝え残さなければならないことが、自身の経験にも沢山あることを自覚しています。社会の空気からどんどん昭和の記憶が消え始め、この国の芸術や教育の歴史を共有できなくなったと感じる場面も増えました。本来は教育や芸術にこそ不可欠な知識の学び、かたちだけではない根源的な五感や身体感覚の経験も必要だと感じます。芸術の内と外、どちらの世界に対しても「学ぶ場」の必要性を感じているところです。
 申請が無事に通り、6月からの第2期が実現可能となりましたら、またあらためてご報告いたします。3年間の事業報告もご希望の方がいらっしゃいましらたメールにてお問合せください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表 ササマユウコ)

2017年

3月

26日

空耳図書館のはるやすみ③を開催しました。

コネクト第一期3年間の事業として3回(実質7回+スピンオフ2回)にわたって開催した「空耳図書館のはるやすみ」。

今年もうららかな春分の日に、おやこの皆さんとご一緒に「ちょっと不思議な読書会」を開催いたしました。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。
◎当日の活動記録はこちらからご覧いただけます。

 

このプロジェクトは即興性と柔軟性を大切にしたアーティスト同志のネットワーク構築も目的としており、そこからクリエイティブ・ユニットaotenjoが誕生したことも収穫でした。今後も彼らの活動を応援するとともに、引き続き「空耳図書館」という緩やかな輪の一員としてつながって頂けたらと思っています。また絵本や即興、子どもに興味のある若い世代のアーティストにも門戸をひらいていきたいと思っています。
 何より絵本を入り口とした芸術世界への豊かな可能性に気づけたことが、大きな成果だったと思います。今後とも移動遊園地のような「空耳図書館」をどうぞよろしくお願いいたします。(空耳図書館ディレクター:ササマユウコ)

2017年

3月

21日

「境界」を考える

●先週は秋葉原で、「境界」について思いを巡らせるふたつの場が提示されました。
 ひとつは「東京ろう映画祭」関連企画として、昨年の話題映画『LISTEN』共同監督・雫境こと神津裕幸さんの個展『紫窓~SHI・SOU』(@Art Lab AKIBA)。東京藝術大学で美術を学んだ神津氏は学生時代から「境界」をテーマに作品を制作し、今回は『LISTEN』からインスパイアされたビデオインスタレーションで「内と外」の’間’を提示しました。窓枠装置の両側から、揺れるレースのカーテン越しに移り変わる赤と青の風景が映し出されていきます。同じ映像のはずなのにふたつの世界の印象はまったく違う。どちらが内でどちらが外なのか。その相反するふたつの世界の「あいだ」に置かれた小さな窓枠の存在に気づく時、そこに作家からのメッセージを発見するのです。
 世界の仕組みはとても複雑ですが、関係性の本質はシンプルです。個展タイトルにある「紫窓」とは赤と青の二項対立として世界を捉えるのではなく、その’境界=間’に目を向けることを示唆しています。壁や線で分断するのではなく、境を流れる川のような境界の’幅’を意識すること。時にはその川に橋を架けて、相手の世界からこちら側を眺めてみること。赤だと思っていた風景が青に変わる瞬間。あらためて自分の世界は自分の窓枠から見える風景の一部にすぎないと思うのです。「あわい(間)」という言葉を思い出す。世界が重なり合うその曖昧な境界の部分に淡い紫色の水彩が滲みだす。分断されていると思い込んでいた世界の境界線が、実はグラデーションの帯であったと気づくのです。
 時おりJR高架の電車音が会場内を通り過ぎていく。作家自身には届かないその音が映像の「ゆらぎ」とシンクロするとき、視覚が聴覚と重なって、きこえない/きこえるの境界が消えていくように紫色の世界へとつながっていく。まさに、あわい(間)の橋を渡るような感覚に包まれるのでした。 ※関連サイト「東京ろう映画祭」→

●夜は東京アーツカウンシル(@アーツ千代田3331)で開催された東京迂回路研究JOURNAL③発行記念イベント「生き抜くための‘迂回路’をめぐって」の第2部に参加しました。今回のJOURNAL執筆者のひとりであること、2部のトークセッションにカプカプ所長・鈴木励慈さんが登壇されたことが、足を運んだ理由です。イベントの詳細については専用サイトをご覧頂ければと思います。ここでは、このプロジェクトについて少しご紹介します。

 「東京迂回路研究」は「NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所」が東京アーツカウンシル助成の共催事業として展開したプロジェクト。芸術、哲学系の若手研究者たちによって「社会における人々の「多様性」と「境界」の諸問題に対して調査・研究・対話を通じて’生き抜くための技法’としての「迂回路」を探求する」(抜粋)ことを目的に3年間にわたって展開されました。先の見えない今の時代を柔らかく真摯に生きるための「知恵」を探す旅のように進んでいく、とてもユニークなプロジェクトだったと思います。対話の場や研究会は医療・福祉・ケア・芸術(アート)・社会等を学際的につなぎ、しかし日常や街とも確かに地続きにあって、アカデミックすぎずニュートラルで民主的にひらかれた雰囲気にも包まれていました。研究者たちの専門である臨床哲学の対話や音楽療法の手法、芸術が場の根幹づくりに上手くいかされていたと思います。
 例えば今回のように福祉の関係者が登壇するトーク・セッションでも、いわゆる「福祉系」の勉強会とは趣が違い、主眼はあくまでも「迂回路=柔らかく生きること」にありました。社会のさまざまな「境界」が、参加者同士のざっくばらんな対話の中でいつの間にか淡くなる瞬間がたち現れ、それこそが「迂回路」の道しるべとなる。3年間のプロジェクトと併行してメンバー自身も変化しながら、研究調査がそれぞれの窓枠を広げていくような、それを参加者も共有するような旅だったと思います。
 研究と生活をつなげることは、芸術と生活をつなげるのと同種の困難さを抱えます。専門性を深めれば自分の生活が置き去りに、高みに着けば今度は「誰のためか」と自問する。まず生き抜かなくてはならないのは、他でもない自分自身の人生。研究や芸術を取り巻く環境が狭められていく中で、いかにして「迂回路」を見つけていくか。当事者としても生きている限り常に考えていかなければいけないテーマだと思うのでした。
 多様性や境界をしなやかに受け入れ、柔らかく生きる知恵としての「迂回路」探求。これからも人生に寄り添いながら、臨機応変にかたちを変えながら、さまざまな角度から新しい視点を投げかけてくれるだろうと期待しています。(ササマユウコ記)

●こちらは少し前になりますが、「東京ろう映画祭」の関連企画『音のない記憶~井上孝治展』(@渋谷アツコ・バルー)です。

 いわゆる「決定的瞬間」を一枚のフィルムに収めた昭和のスナップ写真を見るのは久しぶりでした。きこえない作家が全身全霊で切り取った「渾身の一枚」は、見る者の心に深く染み入ります。戦後の平和をかみしめるような、子どもたちの元気な姿やユーモラスな一瞬からは、昭和30年代の暮らしの音風景が聞こえてくるようでした。第二期『1959年沖縄の空の下で』も開催されますので詳細はこちらをご覧ください。

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2017年

3月

07日

「東京ろう映画祭」のご案内

4月7日~9日、世界中のろう者の映画と、日本語字幕での初上映の邦画を紹介する「東京ろう映画祭」が開催されます。音のない世界に耳をすますことで、何がきこえてくるのか。きこえる/きこえないの境界線を越えながら、あたらしい音風景を発見する機会です。
◎現在前売り発売中詳細はこちら→東京ろう映画祭サイト http://tdf.tokyo/

※この映画祭に先だっての関連企画のご紹介です。戦後の街の風景や市井の人々を撮り続けた、ろうの写真家・井上考治の写真展をはじめ、昨年ろう者の音楽を描いて話題になった『LISTEN』の共同監督・雫境(DAKEI)さんのもうひとつの顔である美術作家・神津裕幸としての個展開催されます。

2017年

2月

17日

【満員御礼】第3回「空耳図書館のはるやすみ」

【定員に達しました】ご応募ありがとうございました♪
今年もやってきました!ちょっと不思議な読書会『空耳図書館のはるやすみ~おやこのじかん』の季節です。今年のテーマは「はるのはじまり、いのちのたまご」。インドの工房で一冊づつ手作りされている絵本『世界のはじまり』を参考図書に、aotenjoのおふたりと共に自由に絵本の世界を飛び出し、旅したいと思います。

受付は専用メールにて、2月20日(月)の朝10時から。詳細はこちらのサイトをご覧ください。赤ちゃんパパママ大歓迎、無料です♪
(平成28年度子どもゆめ基金助成事業・読書活動)。
◎空耳図書館サイト http://soramimiwork.jimdo.com/

2017年

1月

30日

かんじる学校特別編「星空えほん会」@相模原市立博物館~プラネタリウムの可能性とともに

 1月28日に相模原市立博物館・プラネタリウムで開催された『かんじる学校 特別編「星空えほん会」』にお邪魔しました(主催:公益財団法人相模原市民文化財団/相模原市立博物館(相模原市教育委員会))。

 出演は劇団「ク・ナウカ」やSPAC(静岡芸術センター)の仕事でも知られる舞台音楽家・棚川寛子さん、平田オリザ氏が主宰する劇団青年団の看板俳優・松田弘子さん、SPACの若手俳優・加藤幸夫さん、森山冬子さんという豪華メンバー。舞台上には棚川さんらしい素朴な音の楽器が並べられ、絵本の内容にちなんだ楽しい歌や松田さんオリジナルのダンスも披露され、開演前から会場の子どもたちを巻き込みながら、心温まる「絵本の朗読会」が繰り広げられました。

 この日選ばれた二冊の絵本は『よるです』(作・絵:ザ・キャビンカンパニー 偕成社)と、『よるのかえりみち』(作・絵:みやこしあきこ 偕成社)。途中に『ほしめぐりのうた』(作詞・作曲:宮沢賢治)をはさみながら、それぞれの絵本の世界を「目」と「耳」の両方で楽しむような演出でした。会場のプラネタリウムは客席が階段状で劇場のようでしたし、朗読会の枠を自由に飛び越えた「絵本を使った小さな舞台作品」だったと思います。ほどよく肩の力が抜けた自然体のステージは、日ごろ第一線の舞台で活躍する舞台人の「アート」だったことは言うまでもありません。
 同時に会場内には十分なスタッフが配置され、暗がりでも安心して過ごせるような声かけや気配りがあり、低学年の子どもだけでもリラックスして過ごせる雰囲気に包まれていました。終演後にはステージ上の楽器に子どもたちの輪がうまれ、楽器体験や出演者との交流も楽しんでいました。
 子どものみ定員100名で土曜日午前のプログラムが満席だったことは、正直驚きでもありました。相模原には日ごろからJAXAを通して宇宙やプラネタリウムに親しむ下地はあるのかもしれませんが、今回はそこから舞台芸術の世界にも視野がひろがる機会になったとしたら、そこには新しい芸術体験や学びの可能性を感じます。

照明を落とした本番中の記録写真は撮影不可。こちらは開演前の様子。@相模原市立博物館プラネタリウム
照明を落とした本番中の記録写真は撮影不可。こちらは開演前の様子。@相模原市立博物館プラネタリウム

 意外と知られていませんが、プラネタリウムは「教育施設」として各自治体に設置されている場合も多く、各地でさまざまなプログラムが試みられています。星空が見えない都内23区には、かつてすべての区にプラネタリウムがあったとききますし、自治体の教育施設のみならず、民間の娯楽系施設のプログラムにもまた別の魅力があります。
 もちろん設備の新旧や運営方法の違いはありますが、たとえ最新設備ではなくても工夫が凝らされた良質なプログラムは多々あります。施設よりずっと簡素なドーム型の移動式プラネタリウムでも、アットホームで特別な星空時間が体験できます。

 今回のプラネタリウムは教育施設でしたから、朗読ステージの前に専門ガイドによる星空解説の時間が設けられました。ただし授業のようなガイドではなく、客席の子どもたちとの楽しいやりとりを通して、自分たちの暮らす街の夜空へ、大きな宇宙へと想像力を広げ、冬の星座に自然と興味が持てるような内容になっていました。日常から非日常へ。それこそが芸術体験だと、その後に続くアーティストのステージとともに、子どもたちも無意識のうちに感じることができたのではないでしょうか。
 有名なギリシャの星座をはじめ、人類は古代から星空に思いを馳せてきました。西洋音楽の出発点とも言える「天体の音楽(ムジカ・ムンダーナ)」、「天から差す光」に例えられる雅楽の笙、インドや中国など世界に無数に存在するであろう星物語など、芸術と宇宙、人間と宇宙は切っても切り離せない存在でした。本来は音楽と科学は同じ領域にある学問でしたし、いまこうして生活している時間も、太陽や月や星、宇宙の動きとつながっています。それがいつの間にか科学と芸術が切り離されてしまう。それは学校の教育現場でも同様です。だからこそプラネタリウムには「芸術と科学」を再びつなげる役割をはじめ、多様な可能性が内在していると感じます。気づくと平面的になりがちな日常の「視点や時間」をダイナミックに変えられる場は、子どものみならず、大人にも必要とされるかもしれません。お近くのプラネタリウムにもぜひ注目してみてください。今回のように、劇場とはひと味違う素敵な芸術に出会える可能性もありますよ。
 もちろん本物の星空もお忘れなく。(ササマユウコ記)

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2016年

12月

27日

【予告】空耳図書館のはるやすみ・おやこのじかん「はるのはじまり、いのちのたまご」3月20日に開催します!

早いもので3年目となる’ちょっと不思議な読書会’「空耳図書館のはるやすみ」。2017年も3月20日(月・春分の日)に、ここから誕生したaotenjo(外山晴奈・橋本知久)のおふたりといっしょに、五感や身体を使って絵本の世界を自由に旅します。

応募は2月中旬から。ちらし配布は1月下旬からを予定しています。どうぞお楽しみに! (平成28年度子どもゆめ基金助成事業・読書活動)

 

※詳細はこちらの空耳図書館専用サイトをご覧ください!

 

日時:3月20日(月) 午前10時30分~12時【予定】

あそぶ人:aotenjo   +空耳図書館ディレクター・ササマユウコ
参加費:無料   定員:ちいさなお子様とその保護者(10組程度・お申込み順)
主催・お問合せ:芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

イラスト:Koki Oguma

 

2016年

12月

22日

東京迂回路研究オープンラボふり返りレポ「詩・写真・声~そこから言葉をつむぐということ①」に寄稿しました。

東京アートポイント計画の一事業として10月に開催された東京迂回路研究のオープンラボ「言葉を交わし、言葉をつむぐ、5日間」ふり返りレポート。「詩・写真・声~そこから言葉をつむぐということ①」に「詩の考察/耳の哲学」を寄稿しています。他にも興味深い様々な視点からレポートが寄せられています。ぜひご覧ください。(ササマユウコ 12.20)

2016年

12月

20日

ミロコマチコ『まぜこぜけはい』展特別企画カプカプ祭が開催されました。

ミロコさんと富原さんのエネルギッシュなライブペインティング
ミロコさんと富原さんのエネルギッシュなライブペインティング

JIKE STUDIOで開催中のミロコマチコ『まぜこぜけはい』展特別企画として、コネクトでもおなじみの「カプカプ祭」が開催されました。この地域作業所カプカプではミロコさんと新井英夫さんのワークショップが5年ほど前から隔月で展開されています。ササマユウコも昨年春に新井さんのWSを取材したことをきっかけにサウンドスケープ・デザインの視点で音を担当しています。
 この日はミロコさんとカプカプーズによるライブペインティングに合わせて、9月の「カプカプまつり」で披露された「八木節スリラー」を軸に、絵とダンスと音がひとつになった1時間の即興セッションが繰り広げられました。カプカプーズが創る音の森、生きもののような絵具、そして身体の音楽。会場に足を運んだ子どもを含む60名近いお客様もカプカプーズと一緒に、最後は歌って踊って「祭り」を楽しみました。それは「障害とアート」という言葉の枠組みが小さく感じられるような、誰にとっても素敵なエネルギーに満ちた場だったと思います。この5年間で積み重ねられた信頼関係はもちろんですが、非言語アートだからこそ可能になるコミュニケーション、そして人間本来の「つながり方」をあらためて実感するひと時でした。ラスコーの洞窟壁画もきっとこうやって、音や踊りがついたに違いないと「芸術の起源」にもふと思いを馳せるひとときでした。

また第2部トークショーでは、所長・鈴木さんによるカプカプーズの日常紹介、ミロコさん×新井さんによる5年間のふり返りなど、福祉を越えて「よりよく生きる極意」のような楽しいお話を伺うことができました。(ササマユウコ記)

左から)ササマユウコ、カプカプ所長鈴木励慈さん、新井英夫さん、ミロコマチコさん、板坂記代子さん
左から)ササマユウコ、カプカプ所長鈴木励慈さん、新井英夫さん、ミロコマチコさん、板坂記代子さん
黒瀧さん作)カプカプ人間相関図
黒瀧さん作)カプカプ人間相関図

楽屋裏ではカプカプーズによるコスプレ準備中
楽屋裏ではカプカプーズによるコスプレ準備中

※ミロコマチコ展は25日まで


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2016年

12月

09日

2016年の活動報告

「即興」をめぐる地方出張や取材がつづいた11月はコネクト通信をお休みしましたが、また後日考察レポにてご報告したいと思います。
そして気づけば2016年も残りわずかとなりました。同時に①芸術家と研究者をつなぎ②情報発信の拠点となり③社会にひらくことを目的にスタートした「コネクト活動」も、準備期間を含めた2014年6月からの第一期3年間が残り半年を切りました。2017年3月の年度末にはそこまでの活動をふり返り、そして第2期(3年間)の展望をあらためてご報告したいと思います。

今回は(2016年1月~12月)の活動をこちらのページにまとめてみました(記事の写真をクリックすると情報が出ます)。あらためて記録写真の一部を並べてみると、ネットワークや活動内容が飛躍的に、しかも国内外に広がったと思います。その上で、もともと設立時から通奏低音にあったサウンドスケープ思想が、音楽の枠も越えて「耳の哲学/きくこと」として実践的に深まっていきました。コネクトは代表の個人的な音楽活動とは一線を画して、「公共性」を見据えて始まった活動ではありますが、軸となる「耳の哲学」は公私共に不可分であるということを認識した一年間でもありました。この「気づき」は第二期の活動に活かせていけたらと思っています。
※個別の活動詳細はコネクト通信考察レポをご覧頂けましたら幸いです。

●また、2017年以降のコネクト活動について、何かご意見・ご要望、共同企画、執筆依頼などございましたら、こちらからお気軽にお問合せ頂けましたら幸いです。
代表ササマユウコの「耳の哲学カフェ(音のワークショップ)」へのお問合せもどうぞ。

 

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

(2016年12月8日 代表:ササマユウコ記)

2016年

11月

30日

11月の活動から

●11月のコネクト活動については後日「即興」の視点から考察レポートとして取り上げたいと思います。

 

※写真は日本音楽即興学会に来日したS.ナハマノヴィッチ氏の参加者全員によるセッションの模様(代表はピアノで参加しています)。氏の著書である『フリープレイ』を翻訳した若尾裕先生には、この夏に下北沢本屋B&Bで開催されたキクミミ研究会の座談会『生きることは即興である~それはまるで’へたくそな音楽’のように』にご出演いただきました。ナハマノヴィッチ氏のWSはこの後東京でも開催され、そちらの模様も併せて考察したいと思います。

原爆ドーム、原爆資料館の見学。
同世代となる被爆者二世のお話を直接伺う機会もあって、非常に有意義な旅でした。

下旬には熱海で開催されていたAAF2016参加プロジェクト・泥沼コミュニティ

「ホーム/アンド/アウェイ」を訪問しました。


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2016年

10月

28日

「小さな音楽」の可能性~舞台音楽家・棚川寛子と特別支援学級生徒16名の『時を感じて・パフォーマンス』より@多摩市立青陵中学校(主催:アーツカウンシル東京、NPO法人芸術家と子どもたち)

生憎の雨でしたが、街はハロウィンの準備で華やか。
生憎の雨でしたが、街はハロウィンの準備で華やか。

 夏にご紹介したSUNDRUMにつづき、本日は多摩市立青陵中学校・合唱コンクール内プログラムで上演された舞台音楽家・棚川寛子さんと特別支援学級の生徒16名によるPKT(パフォーマンスキッズ・トーキョー)オリジナル作品『時を感じて・パフォーマンス』を鑑賞させて頂きました。(主催:アーツカウンシル東京、特定NPO法人芸術家と子どもたち 会場:パルテノン多摩・大ホール)。

 

 3学年の合唱が終わると、ステージの奥には大きなステンレス・ボウルが3つ、手前には大太鼓、鉄・木琴、ウィンドチャイム、ピアノ等の楽器が、最前には長机が3台一列に並べられました。特別支援のプログラムは昨年まで「筝」の演奏だったそうですから、このセットから何が始まるのか誰にも予想できなかったと思います(筆者もです)。代表生徒による挨拶が終わると、3人の男子生徒たちが上手から登場し、ユーモラスな「無言劇」が始まりました。その非言語のやりとりが実に自然体で面白かった。やがて彼らが色とりどりのプラコップを取り出すと、机上で「一捻り」あるリズムを刻み始めます。すると、その音に合わせて残りの生徒が登場し、全員が机とコップと身体でリズムを刻みながら『上を向いて歩こう』を歌うのです。その後、各自セットされた楽器に移り、まずボウルが叩かれると一気に「ガムラン」の音世界が広がり、場の空気が一変しました。台所用品と吹奏楽部の楽器を使っているはずなのに、どこか不思議でアジア的な音の風景が生まれる。ドラの代わりに叩かれる大太鼓がアクセントとなって、大きな会場が心地良い音に包まれていくのを感じました。決して威圧的でも、一方的でもない。その悠然たる「オンガク」は客席に驚きと感動を持って受け入れられていることは、会場の空気や後方の保護者の語る感想からも明らかでした。そして最後には「合唱コン」らしく、絵本から詩を紡いだという子どもたちのオリジナル曲がピアノ伴奏とともに歌われ、会場は大きな拍手に包まれていました。

 子どもたちが主役になった時間、それは棚川寛子さんの「アート(技術)」との幸福な出会いだったと思います。棚川さんによれば準備期間に実施した11回のワークショップのうち7回くらいまでは、子どもたちになかなか心をひらいてもらえず苦労したそうですが、回を積み重ねていくうちに徐々にリズムが揃い、音楽が立ち現れるその喜びを子どもたち自身が掴み取っていく手ごたえは感じていたそうです。しかしそこに「決定的なきっかけ」があった訳ではない。時間の積み重ねの中で、ゆっくりと子どもたちの内側にある芸術が開花することを信じて待つしかない、その信頼関係があったからこそ、今回の「音の力」が生まれたのだと思います。単に「上手く」演奏できている、音が揃っている、作品の質が高いという次元の話しではない。まさにそれが芸術の世界です。

 もちろんそこには棚川さんのプロの「仕事」、彼女の優れた耳とセンスによる音の取捨選択(デザイン)があった。特に彼女の音楽性の根幹とも言える、楽譜を使わずに稽古場で即興的に演者の身体から音楽を生み出す手法、高い評価を受けているク・ナウカの舞台音楽を始め、その経験値の高さが子どもたちの即興性や音楽をうまく引き出せたのだと思いました。何より彼女によって選び取られた音そのものの力が、子どもたちの耳と心を自然にひらいていった。芸術家の想いを託され「やらされている」のではない、子どもたちは自らの意志で’パフォーマー’として存在していると感じました。それが会場にいた他の子どもたち、大人たちにも、「芸術」とは何かを考えるきっかけになっていたとしたら、これほど素敵なことはありません。

 本来「芸術」の前では誰もが平等です。そこには様々な尺度があり、視点を変えると優劣の反転が起きる。合唱コンで整然と歌い競うことと、特別支援級の彼らが演奏し歌うことの何が同じで、何が違うのか。心に響く音楽とは何か。プロの仕事とは何か。さまざまな気づきを与えてくれる時間だったと思います。

 

 昨今は特に「大きな芸術」が注目され、「アートを使う」「アートを役立てる」と、芸術家が不在のまま「職能」としてのアートが議論されています。その一方で、今回の主催であり、中間支援の先駆け的存在でもあるNPO法人芸術家と子どもたちのように、プロの芸術家と真摯に対峙し丁寧な場づくりを続ける団体も存在します。芸術家からも、この団体と仕事がしたいと声が上がる理由のひとつはそこにあると思います。

 今回のPKTは東京アーツカウンシルとの共同事業のため、残念ながら都内の学校に限定されますが、昨今は各自治体が主催する芸術家のワークショップも増えました。そこに参加する子どもたちが主役であることは大大前提ですが、芸術家を始め、関わる人たちすべてが「芸術の力」を噛みしめるような、幸福な場づくりが望まれます。経済システムが軋み始めている「大きすぎる芸術」とは違う、丁寧で「小さな芸術」にこそ神は宿る。その奇跡の積み重ねが、何かを少しづつ変えていくのだと信じたい。なぜなら、そこに関わるすべての子どもたちが「未来」だからです。(ササマユウコ 記)

2016年

10月

21日

泥沼コミュニティ「ホーム/アンド/アウェイ」(AAF2016参加)巡回展のお知らせ

 

〇4月にアートラボはしもとで開催された『HOME/AND/AWAY』(AAF2016参加)の巡回展が10月26日から熱海で始まります。路上観察学会分科会有志メンバー(西郷タケル、ササマユウコ、山内健司、鈴木健介)によるZINE+漫画、サウンド・インスタレーション(はしもとの空耳)も出展します。アートスポットとしても若い世代から注目が集まっている熱海。お近くにお出かけの際は是非お立ち寄りください。

開催:10月25日(火)~11月27日(日)(月曜定休)
会場:RoCA晴(熱海市銀座町10-19 1F)


主催:泥沼コミュニティ 共催:RoCA晴 協力:女子美術大学、アートラボはしもと、混流温泉文化祭 後援:アートラボはしもと事業推進協議会(相模原市・女子美術大学・桜美林大学・多摩美術大学・東京造形大学) 特別協賛:アサヒビール株式会社
助成:公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団